2009年12月25日

おしらせ

「随(かんながら)神」の物語を書き上げて、丸10年が経ちました。

エピローグから始まるこの物語は、事実を基に書かれています。

そこには多くの人たちとの出会いや、ここには書く事ができなかった様々なエピソードもあります。

さらには、この物語の趣旨は、各所にちりばめられた存在の真実そのものとも言えます。


時代が変わり、このようなメッセージを受け取ってくれる人たちが急速に増えてきました。

それは予想していたことであり、ことさらの驚きもありません。


目覚めの連鎖がさらに加速し、この地上が「大いなる意識」で満たされる日も、そう遠いことではないでしょう。


機は熟してきたと感じています。


春過ぎには、この物語が書籍化され、全国の書店に並ぶことになると思います。

そうなれば、また新たなる「かんながらの道」が展開していくことでしょう。


それに先立ち、「随(かんながら)神」講演会を開催します。


私「A」が、この物語に秘められた真実と思いを、みなさんに直接お伝えしようと思います。


詳しくはコチラから。

  

Posted by Blog Ranking at 11:19

2008年12月30日

2008年12月30日

わ・か・っ・た



そうだったのか!
みんな一つだったんだ!!



僕もあいつも敵も味方も、みんなみんな・・・ひとつだったんだ






本当はみんなで愛しあえるし、みんなで仲良くできるし、みんなで助けあえるんじゃないか


だってみんな同じ一つの命なんだから・・・




なぜこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。




戦争・・・飢餓・・・生存競争・・・裏切り・・・喧嘩・・・憎みあい・・・




いったい僕達人間は何をやってるんだろう






・・・・・・・・・・・・・・




かんながらの物語を書いたのは1999年の暮れです。

その後2001年の2月になって、エピローグを書きあげました。



あれから10年近い時がたちましたが、世界はあのころのままです。


戦争・・・飢餓・・・生存競争・・・裏切り・・・喧嘩・・・憎みあい・・・



不景気になって贅沢ができないからと大騒ぎしている国があるかと思えば、違う国ではわずかな食べ物さえもなく、不衛生な環境で餓死していく子供たちが後を絶ちません。

相変わらず人は自分のことばかりを考えるのに忙しくて、もうひとつの現実は見て見ぬふりです。




僕たちは「ひとつ」です。

それは哲学ではなく、思想ではなく、事実なのです。



その事実に目覚めることが、世界をそして地球を救う唯一の道だと思っています。





この地上が愛で満たされますように。



合掌
  

Posted by Blog Ranking at 13:30

2008年11月03日

かんながらの道 2

ずっと更新をさぼってしまいましたm(_ _)m

それでは続きです。



神を大いなるエネルギーと捉え、万物に宿りし永遠の命とする、いわゆるアニミズム信仰は、西洋の一神教とは一線を画し、敵も味方もすべて包み込んでしまいます。

西洋文明から見れば、原始的で野蛮な文明とされたネイティブの風習には、いまこそ世界が学ぶべき命や霊性との繋がりが見て取れるのです。


以前からこのブログを読んでくれているという、出版社「現文メディア」のTさんから、こんなメールをいただきました。

一部を抜粋して紹介します。



最近、弊社から出版した『ティク・ナット・ハンの抱擁』の制作を手伝ってくださった人の紹介で、ある集会に参加したのですが、その講演者が、ハワイのフラダンスの説明をしてくださり、フラは随神なんだと解説をしていました。

韓国でも、古朝鮮の時代には、太陽、風、鳥などをあがめながら、とても自然と調和した時代がありました。今のような肉食が入ってきたのは、蒙古の影響だとも言われています。

ですから、このフラの話を聞きながら、韓国の古朝鮮、日本の縄文、ハワイ、アメリカのインディアンの生活などが結びつき、全世界が、随神に帰っているのかなと思った次第です。

一神教は一神教で歴史を動かしてきたのでしょうが、神はお一人でありながら、
すべてに偏在しておられもし、今の時代、我々に自然体に戻ることを願われているのかもしれません。





まさに世界はいま、東洋の時代に移ろうとしています。

それは東洋が経済を席捲するということではなく(そのような事も同時に起こるかもしれませんが)、思想の面から世界をリードしていくということです。



西洋よりも優位に立つと言うのでもありません。


優劣という間違った比較を超えて、真に同胞としての理解を共有することだと思うのです。
  

Posted by Blog Ranking at 09:36

2008年10月27日

かんながらの道

祭りや儀式の最中に見せる忘我のような状態において、シャーマンは何か大いなるものとの繋がりを実感するのでしょう。

その力は圧倒的にして、すべてを包み込む、ダイナミックな命の流れです。


しかもその力は確かなる意思を持ち、刻々と展開する現象のすべてを司っています。

無数の細胞の一つひとつの動きから、銀河系の星々の運行まで、ありとあらゆるものを同時に動かし、その全てに意識を向けています。


そんなことが可能でしょうか。


人間の想像をはるかに超えた、そんな意志と力が存在するのです。



それが神です。



何一つ無駄もなく、何一つ偶然もなく、瞬間瞬間に作り出されるこの世の現象は、奇跡的なバランスの中で、一切のズレを生じさせることなく事を起こらしめているのです。




その同じ力が、あなたの中であなたを生かしています。


どこか遠くを探す必要はありません。


自分自身を知れば、僕たちは「それ」を知ったことになります。




その力を認め、その意思に従って生きる、それが「かんながらの道」です。
  

Posted by Blog Ranking at 16:47

2008年10月24日

かんながら

そもそも、「かんながら」とはどういう意味なのでしょうか。


漢字では

随神

惟神

と書きます。



神と共に生きる

神の思し召すままに

神の御心に沿った生き方をする


そのような意味だと思っていいでしょう。



これは「Let it be」の態度であり、「南無」とか「帰依」とか「サレンダー」とかにも通じる世界観です。


そこには神、あるいは宇宙をつかさどる大いなる意志に対する、絶対的な信頼があります。



大昔から日本人は随神の道を、生きる指針としてきました。

勤勉で、まじめで、よく働くと言う国民性は、随神の道から生まれています。


おそらくは生活の中に、神とつながる何らかの習慣が根付いていたのではないかと思われます。


何故かと言うと、随神の道とは、自分に言い聞かせるだけでは限界があり、そこには神を感じる直接的な体験が必要だからです。


それが宗教的儀式であったのか、祭りの一種だったのかはわかりませんが、今では失われてしまった何かがあったと考えたほうが合理的です。


そこに仏教が伝来し、随神の道も少しずつ変化していったようです。



最近よく、「縄文に帰れ」という言葉を耳にします。

人間界の複雑なシステムに翻弄されることなく、もっと大地や命を感じるような生き方に戻ろうということです。


天河神社に奉公していた時、アイヌの人たちと、沖縄の喜納昌吉さんらと、満月の神殿でしこたまお神酒を飲み、歌い踊ったことがあります。

その時感じた世界は、まさに縄文のそれでした。


根源的な力とダイレクトにつながろうとする、そんな意志を感じました。





つづく

  

Posted by Blog Ranking at 10:37

2008年10月17日

一番言いたかったこと

そして最後に一番言いたかったこと・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・



さあ、前に進みなさい

多くの人達に出会っていきなさい


この世にはあなた以上の人も、あなた以下の人も一人もいません

すべては<あなた>なのですから



したがって同胞との出会いと交流があなたにできる全てです


一人ひとりと正直に誠実に、真正面から開かれた関係性を作っていきなさい


やがてその関係性の中にあって共通の理解が生まれます

それはその時その人に必要な理解であり、さらに深く進む推進力です




その中にあって事は自然に展開していきます

そして多くの人達が『鍵』は最初から開いていたことを、そもそも心のドアなど存在しなかったことを理解するでしょう




真理はいつも明白です

何一つ隠されることなく、いつも目の前に展開しています


あなた方がわざと気づかない振りをして、幻想のゲームを楽しんでいるだけなのです



ほらごらんなさい

たった今、目の前に広がるこの壮大な神秘を!




以前はごく一部の選ばれた魂だけが、「悟り」と一つになることができました


そして今多くの魂達が目覚めの季節を迎えています



それは連鎖反応のように次々と大地に花開き、やがては地球全体を覆いつくしていくでしょう


その時、無数に分裂していた意識の破片が、大いなるひとつに統合されていくのです

そんな予感をすでに多くの人達が持ち始めています



やり方は簡単です

この先に進むのは想像よりはるかに簡単なのです



怖れを捨てて自分の「本当の声」を生きて下さい



それを始めたとたん事態は一変します

もうあなたは一人ではありません


同じ理解を生きる仲間達と全ての必要を満たしあうことができます



あなたがありのままでいればいるほど、事はますます楽になっていきます


そして自然に事が起こり出すのです




それは「随(かんながら)神」の道です




すべての自由があなたに与えられています



悟りさえもあなたの選択であり、あなたの自由です


誰もそれを妨げていません



目を醒まして今すぐ夢から覚めるのもよし

今のまま夢を見続けるのもよしです



心配ご無用


どちらを選んでも、必ずいつかは大いなる一つと一体化するのですから


正確には、今までもそして今もずっと一体だった事を思い出すだけですが・・・




だから大した事ではありません

「悟り」をあまり大げさにしないで下さい



この世にあなた以上の真理はなく、

あなた以上の神秘も存在していません。




実のところ全ての人々はすでに悟っています

ただそのことを忘れてしまっただけです






どこを探しているのですか?




私は『いま・ここ』です





  

Posted by Blog Ranking at 18:45

2008年10月16日

いつか気づくさ

わかった!!


そうだったのか!

みんな一つだったんだ!!


僕もあいつも敵も味方も、みんなみんな・・・ひとつだったんだ


本当はみんなで愛しあえるし、みんなで仲良くできるし、みんなで助けあえるんじゃないか


だってみんな同じ一つの命なんだから・・・


なぜこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。


戦争・・・飢餓・・・生存競争・・・裏切り・・・喧嘩・・・憎みあい・・・


いったい僕達人間は何をやってるんだろう



・・・・・・・・・・・・・・



いつかきっとみんなが気づくさ


こんなあたりまえの事にきっと気づくさ



その時すべてが解決するんだ

その時、悠久の昔からの人類の夢がすべて・・・







物語の冒頭に出てくるAの気づきです。


これが全てです。

ただ、このことを伝えたいと思いました。



昨日、<あの世に聞いた、この世の仕組み>の黒斎さんの言葉を読んで、ああそうか、同じことを感じて、同じことを伝えようとしている仲間がいたんだと思いました。


まだまだ僕が知らないだけで、そんな仲間が次々と誕生しているのだと思います。



いま、真剣に第二部の構想を考えています。

予告だけでなかなか進みませんでしたが、少し輪郭が見えてきました。


  

Posted by Blog Ranking at 10:12

2008年10月15日

僕たちの役目

この宇宙には無駄なものは何一つありません。

一人ひとりの存在も、お互いの関わりも、出会いも別れも、すべて必要な時に必要なことが起きています。



それは至高体験の中で誰もが感じることです。


いままでの全ての出来事は、この「気づき」のために存在していた。

全ての人の存在理由も、まさに究極の意識に到達するためのものだった。


そのことに確信を持ちます。



僕たちが根っこで一つにつながっていること。

つながっていると言うよりは、まさに「同じひとつの存在」であることを僕たち全員が知る日が来ることでしょう。


その時に、人類の長年の夢だった、地上ユートピアの建設が始まるのです。



それが2012年に始まると言う人もいますし、もっと先の話だという人もいます。



少なくともそこに気づいた人たちが、まずは自分の縁ある人たちへ、気づきに向けた洞察を与えていくことだと思います。



僕たちが今生において何を職業にしようと、本来の役目はそこにあると思っています。



  

Posted by Blog Ranking at 09:10

2008年10月14日

オリジナリティー

煙草をやめてからどうしたか・・・

ギターと歌の猛練習です。


これは性格かもしれませんが、ずっとご無沙汰していたファンの方にみっともない姿を見せたくなかったのでしょう。

あの頃よりも、さらに上達したパフォーマンスを見せたいと願ったのです。



その甲斐あってか、感覚はすぐに蘇ってきました。


というよりも、全然違うレベルのアーティストになっていると感じました。


それは音楽的な技量だけでなく、存在そのものの違いが作り出す迫力のようなものです。




若いころの音楽には、自分というものがあまりありませんでした。

もともとは西洋の音楽であり、自分が憧れたミュージシャンのコピーから始めていたので、どこまでいっても偽者で、せいぜい二流のコピーマシーンのような存在でした。



それがいつのまにか「自分」を持っていたのです。

センスとしての優劣はともかく、少なくともオリジナリティーが生まれていました。



これは人生も同じで、人の真似や人のフリをして生きているときは限界があります。


しかし、自分に自信を持ち、自分の考えで独自な生き方を始めた時、そこに真の創造性が発揮されます。



期せずして、そんな自分になっていたのでした。


  

Posted by Blog Ranking at 10:11

2008年10月13日

人生の選択 2

とはいうものの、人生は選択の結果だと言いきれることもあります。



沖縄のラジオ局との電話で「ライブやりましょうか」と言った時、僕は自宅のソファーに座って、煙草をふかしながら話していたんです。



その時思いました。



声が全然出なくなっているけど、本当にライブを再開するなら、まずこの煙草をやめることだって。


そして同時に思ったんです。


僕の選択次第で、今吸っているこの煙草を、人生最後の煙草にすることも可能だなって。


そして実際、そうなりました。





いま煙草を吸いながらこのブログを読んでいるあなた。


それを最後の一本にすることも、あなたの選択次第でできるのですよ(笑)




やめて7年半が経ちますが、言うまでもなく身体が喜んでいます。


これは僕の選択の結果ですよね?




え?そのタイミングでそう考えることが決まっていたから、それも定められた運命ですって?


だったら、自分の意志でその運命を作ってみたらいかがでしょう。




人生は定められた運命か、それとも自分の選択次第か。


あはは、この話は堂々めぐりですね。



  

Posted by Blog Ranking at 11:55

2008年10月12日

人生の選択

早いもので、もう7年半になります。

沖縄のラジオ局からのインタビューで、「もうライブはやらないのですか」と聞かれ、思わず「やりましょうか」と答えたのが2001年2月でした。


そう答えながら、もう一人の自分が「え!?マジで?」って驚いていました。

だってギターも弾けなくなっているし、声も出ないし、自分で作った歌の歌詞さえも忘れていたからです。



もしあの時、もう少し理性的な自分がいて、「歌ですか?それはすでに終わったことです」と答えていたとしたら、その後の人生は大きく変わっていました。

僕の人生だけでなく、家族全員の人生が変わっていました。


今沖縄に住んでいないことだけは確かです。



人生には自分でも説明つかないような選択をしてしまうことがあります。

しかも、その選択が人生全体に大きな影響を与えるのです。



人生に「もし・・・」はないと言いますが、それでも考えてしまいます。


もしあの時・・・





人生の筋書きは全部決まっているのでしょうか。

自分がその瞬間何を思い、何を考え、何を選ぶのかさえも決まっているのでしょうか。


それとも全ては自由意志で、混沌とした未来の無限の選択肢の中から、瞬間瞬間何かを選ぶことで人生を作り出しているのでしょうか。


僕はその両方のような気がするのです。


決まっているのに決まっていない。

その両方が同時に起きているように思うのです。



そのことの真実を追求することが「かんながら」の物語の大きなテーマでした。


これを読んでくれているあなただって、何かがほんの少し違って入れば、まったく違う道を歩いていたのではありませんか?



  

Posted by Blog Ranking at 15:04

2008年10月11日

君のおかげ

さてそのレンタカーなんですけど、乗っている間にどれくらい労わってあげているでしょうか。


一日24時間、一瞬も休むことなく働くだけ働いてくれています。

それも生まれた瞬間から、死ぬ間際まで、ずっと休みなくです。



それなのに僕たちときたら、「いつもありがとう、君のおかげだよ」なんて優しい言葉をかけることもなく、働いて当然というような態度で接しているような気がします。


それどころか、足が短いだの、腹が出てきただの、太り過ぎだの、痩せすぎだの、背が低いだの、なんだのと、体に文句ばかり言っているのではないでしょうか。

それでも健気な体は、不平不満を言うことなく、ただ黙々とその役目を果たしてくれています。



車もたまにはチューンアップしたりメンテしたりしますが、体にもしてあげたいですね。




実はそんなことを考えるようになったのは最近で、ここ数ヶ月間筋トレに励んでいます。


そしたらね、身体が喜んでいるのがわかるんですよ。

細胞の一つひとつが活性化しだしたような、そんな感覚があります。



で、時々腕や胸をさすってあげて、「今までよく頑張ってくれたね、大切にするからね」なんて声をかけるようになりました。



僕らが最初に感謝しなければいけないのは、地球からお借りしているこのレンタカー(身体)かもしれませんね。






そんなわけで、これからも応援よろしくお願いします。

 
  

Posted by Blog Ranking at 13:41

2008年10月10日

肉体はレンタカー

もう少しだけ、死について語ってみます。


死ぬ時には何が起きるのでしょうか。


結論を言えば、死んでも何も起きません。

なぜなら、死なないからです。




肉体はこの世で生きるためにお借りしたレンタカーみたいなものです。


どんな優秀な車も使っていれば古くなり、修理しながら何とか持ちこたえさせようとしますが、それもいつかは限界がきて、エンジンがストップしてしまいます。

それが死ですが、運転手はまったくの無傷です。



車から降りると何が起きるのでしょう。


それは狭い車内から、広々とした大地に足を踏み出すのと似ています。



あまりにも清々しい空気。

あまりにも圧倒的な解放感。

そして広々とした自由な感覚に包まれていきます。




今までに、生きながらにしてそのような体験を何度かさせてもらいました。


「なーんだ、死なないんだ」


そう思ったとき、人生感がガラリと変わりました。



この世で何かを成し遂げなければいけないといった強迫観念がなくなりました。


そもそもレンタカーに乗って何処かに向かっているつもりでいましたが、実際にはサーキットコースのような巡回道路をぐるぐる回っていただけで、どこにも行きついてなかったのです。


前を走る人に追い付き追い越せと走ってきましたが、どこまで行っても前に人がいます。


あれ、この人はずいぶん昔に追い越した人じゃないかって気がつく時もあります。


一周遅れで前を走っていたのです。



何度抜いても同じこと。


だって何周したかを競うレースではなく、まさにいま、どのような走り方をしているかが問われているレースなのですから。





だから、気楽にいきましょう。








これからも応援よろしくお願いします。

 
  

Posted by Blog Ranking at 09:11

2008年10月07日

死という祝福に向かって

死が自分に迫ってきたらどうするだろう。

人は決して死から逃れることができない。

だとしたら、死のプロセスに任せてみよう。

戦わないで、死を友として迎え入れてみよう。



そんな心境を持ち続けたいと思っています。


死はあらゆる存在の宿命です。

それは物質(肉体)からの解放であり、大いなる祝福だと思います。



未知なものに対する恐怖心が、死をややこしくしています。


しかし、その旅立ちをワクワクする冒険ととらえて、その一切を目を凝らして見届けることができたとしたら、その時に人は死を超えることができます。

死は存在しないことを見抜くからです。



そこに行きついた意識は、もう二度と生まれてくることはないと言います。

苦しみである人生に再び投げ出されることはないのです。



もし人生に目的があるとしたら、そのような死に方ができるような自分になっていくことだと思います。


死にざまが生きざまです。




「随(かんながら)神」の物語は、つまるところ、「いかに死ぬか」という物語のように思います。


神の思し召すままに、死さえも委ねて生きていたい今日この頃です。





ーお知らせー


このブログは10月8日午前2時から10月9日午前10時まで、サーバーの都合により閲覧できなくなります。


あらかじめご了承ください。






これからも応援よろしくお願いします。

   

Posted by Blog Ranking at 10:06

2008年10月06日

時間のスピード

それにしても時間のスピードが速いですね。

もう10月6日ですか。



気持ち的には9月6日くらいなんですが、このスピード感は何なんでしょう。

それは歳をとったからかもしれませんが、子供も同じような事を言うので、どうやら歳のせいだけではなさそうです。


2012年にかけて、一日がどんどん短くなっていくって言う人がいますが、物理的にそれがどういうことなのか僕の頭ではわかりません。

でも最近は特に、あっという間に一日が終わることだけは確かです。


昔の一日が24時間だとすると、今はその頃の12時間くらいを24時間として生きているような感覚です。


一日の長さが半分になってしまったような・・・

去年は3分の2くらいに感じていたので、さらにまたスピードアップという感じです。


この調子で来年はさらに一日の感覚が短くなり、2012年12月にはついにゼロポイントに達するとか。



ゼロポイントって何?


時間が無くなるってこと?


そうなると、みんなが「いまここ」に生き出すのでしょうか。

そしたらいいですね。


戦争は起こらなくなるでしょう。

だって世界中の人が「いま」を生き出せば、他の国や人種を攻撃したりすることが無意味になりますから。



それがアセンションなのでしょうか。


欲望や執着は時間の中に存在しています。

欲望は未来の中に、執着は過去の中にあります。


そのどちらもなくなってしまうことが悟りだとしたら、僕らは難なく悟れるのかもしれませんね。





とにかく一日が短く感じる今日この頃です。






多くの人に届きますように

   

Posted by Blog Ranking at 11:13

2008年09月23日

大変革を前にして

そのような時代の変化に対応するために、いくつかの生活習慣を変えてみることをお勧めします。


ひとつは食生活です。



まずは肉を極力ひかえてみるのです。

それは健康のためだけでなく、精神的にも大きな影響が出てきます。

完ぺきにやろうとしても、今の時代はさまざま食材に肉のエキスが混入していますので難しいものがありますが、まずはそのような心がけを持つだけでもいいと思います



肉食を霊的な側面から否定する人もいます。

生き物が殺される時の怨念が、肉を食べることを通して体内に入ってくるという考え方です。


僕はそのようなこと以前に、肉を平気で食べているという行為自体が、あまりにも無神経だと思います。


そこには想像力が欠如しています。

自分が何を食べているのかの自覚がないのです。


人間の味覚を満足させるために、毎日おびただしい数の罪なき動物が殺されています。

目の前にあるのがきれいにパッキングされた肉だとしても、それがそのような形になるまでの経緯があります。

それをつぶさに想像すれば、食べたいと言う思いは薄れていくのではないでしょうか。


他の動物に対する慈しみの心は、自分の霊性の目覚めと別々ではありません。

とても象徴的だと思います。




さて、食生活の改善は何も肉食に限ったことではありません。


贅沢に慣れてしまった食生活を見直し、粗食に変えていくことが大切だと思います。

ひとつひとつを味わって感謝して頂くような、そんな態度で食べるのです。


それはこの先予想される世界的食糧難を、苦労なく乗り越えていける準備にもなります。

贅沢に慣れていると、失望感が大きくなることでしょう。


常日頃から粗食で満足できるような自分でいられたら、難なくこれからの時代を生きていけると思います。





ブログランキングに参加しています。

応援よろしくお願いします。

   

Posted by Blog Ranking at 10:18

2008年09月22日

大変革 2

有史以来、いく度となく革命が引き起こされ、そのたびに社会システムが一新されてきました。

しかしそれは単に社会の仕組みが変わっただけで、基本的な変化ではありませんでした。


基本的な変化とは何でしょう。

それは支配者と被支配者によって構成される社会ではなく、みな横一列に並んだ中で、それぞれが個としての役割を担いながら、全体的にバランスがとれた世の中に変わることです。


簡単に言えば縦社会の崩壊です。

すでにその兆候はITの飛躍的発展と共に、一部現実化してきています。

支配者の特権であった情報の独占が、ネットというツールによって壊れ始めたのです。


たとえば世界的企業である「グーグル」などは、いち早くこれからの変化を予見し、自らの企業としての仕組みも、来るべき社会の先駆けとなるような斬新な構成で成り立っています。


そして情報の共有という観点ひとつとっても、彼らの功績ははかり知れません。


さて、そのような社会は言ってみれば真の民主主義と呼べるのかも知れませんが、そこには代償として個々の責任が強く求められます。


それも、信条や倫理観を強化すると言うのではなく、個々の精神的レベルが求められるのです。


個でありながら、同時に「全体」という感覚を持ち合わせた人間たちによって可能になる社会です。


それは一部の強力な政治指導者の力で作られるものではありません。


一人ひとりの霊性への目覚めがその基盤にあるべきです。

だからと言って、突出した精神的リーダーが必要なわけでもありません。

あくまでも個の気づきによって達成されていくものです。



だからこそ、気づきの質が大切になってきます。

このような変革に時代には、様々なインスピレーションに操られて、人の心を惑わす山師たちが後を絶たないからです。





応援よろしくお願いします。

   

Posted by Blog Ranking at 13:43

2008年09月19日

大変革


最近、世の中の大変革がいよいよピークに差し掛かったと言っている人たちがいますが、僕は信憑性を感じます。

現実的に見ても今の世界がこのまま続くわけがないと思うからです。



僕たちは自分や世界の未来を考えるとき、自分の過去の経験や、世界が歩んできた歴史から押しはかろうとしますが、今迎えようとしている新しい時代は、そのような連続性では描けない、まったく違う世界です。


したがって、来るべき世界を、誰も具体的に話すことはできません。



でもそこには、いくつかのキーワードがあります。


ひとつは、私利私欲の考え方が通用しなくなりということ。

これは世界の経済システムもしかり、個人の幸せ追求もしかりです。


だから今のうちから自分の考え方や、生き方を、少しでも是正していくほうがいいと思います。

そのほうが、苦しみを最小限に抑えて、変化の波に乗ることができるからです。

幸せは勝ち得るものではなく、与えあうものだという感覚を持つことです。



変化というのは破壊ではありません。

でも既存の価値観から見れば、それは破壊に見えると思います。


変化自体は良いも悪いもなく、ひとつの現実ですが、今までの世界で我欲を貫いて利益を得てきた人から見たら、この変化は最悪の事態かもしれません。


しがみつけばつくほど苦しみは大きくなり、やがては心身に異常をきたすかもしれません。



いっぽう、愛や平和といった価値をなによりも大切に生きてきた人たちにとっては、この変化は、長年夢見たユートピアの誕生と言えるでしょう。



変化自体は中立です。


人ぞれぞれの立場や生き方によって、良くも見え、悪くも見えるのです。






つづく



応援よろしくお願いします。

   

Posted by Blog Ranking at 08:21

2008年09月12日

大相撲騒動に思うこと

ちょっと気分を変えて、今日は最近世の中を騒がした、大相撲騒動について書いてみます。



相撲は神事です。


海だとか山だとか、そんな名前を付けた力士が、土俵上で裸で戦うことで、神々に力と感謝を捧げ、五穀豊穣を願います。

古事記や日本書紀にも、その原型が登場するくらい歴史は古いのです。


本来は大関が最高位です。

その大関の中でも突出した力を有する者を御神体として注連縄(しめなわ)をつけたのが横綱です。

土俵入りで見せる柏手(かしわで)も神事の作法ですし、勝った力士が懸賞金をもらう時も、神主の「祓いたまい、清めたまへ」の仕草をします。



したがって相撲はスポーツというよりは、日本古来からの伝統芸能に近い存在だと思っています。

だからこその「国技」なのです。


偏見から言うのではありませんが、外国人力士を入れた時点で、その本質が大きく変わり始めたと思います。

変わったなら変わったなりに、いつまでも国技とか言っていないで、開かれたスポーツの場として徹すればいいと思います。




国技としての大相撲文化を徹底するのか、それとも開かれたスポーツの場として発展を目指すのか、今はどっちつかずの状況のように感じます。




もし大相撲が単なるスポーツの場なのであれば、ドーピング問題には国際基準があります。


今回検査を担当した日本相撲協会アンチ・ドーピング委員会専門委員の大西祥平・慶応大学スポーツ医学研究センター教授によると、大麻によるドーピング違反が判明した場合、一般スポーツでは厳重注意と1年未満の出場停止が科せられるのだそうです。

筋肉増強剤などは永久追放なのに、大麻は意外に軽いと思うかもしれませんね。


大麻は一般の麻薬とは違い、酒やタバコに比べてさえも人体に与える害が少ないので、国際的にはこの程度のペナルティーなのです。



今回は大相撲の今後のあり方や、大麻に対する国民感情や、いろいろと考えさせられる騒動でした。







応援よろしくお願いします。

   

Posted by Blog Ranking at 09:59

2008年09月11日

性について 5

性に対する誤った観念が及ぼす影響の中に、罪悪感があります。

自分が否定的に考えている行為を、考えただけでも心の中に罪悪感が生まれます。



あるがままの自分を認めようと思っても、あるがままの自分の中に性的な衝動や欲望が見え隠れし、そのような傾向を否定していたら、あるがままの自分など認められるはずがありません。


実際には、人間が持っているさまざまな面は、解決したり、克服したりすべき問題ではありません。


たとえば5本指の中で、小指が短いからと言って、死ぬまでに小指を克服するなんてバカなことはしませんよね。

小指の短さは問題ではありません。



同じように、心の欲求も、克服しなければいけないものではありません。

それは人間の一部です。


ところが性に関しては、いつか乗り越えなければいけないテーマのような誤った観念が植え付けられています。

勝ち目のない葛藤を強いられ、やがては消耗し、最後は罪悪感に浸ることになります。

「こんな自分なんて」というわけです。


罪悪感を持たないことは、幸せに生きる上でも大切な要素です。


ダメだと思うことをしなければ罪悪感はありません。

同時に、そのことをダメだと思わなければ罪悪感はありません。


性に対する誤った観念を書きかえれば、ずいぶんと楽に生きられます。




自分の中の衝動と、必要以上に戦わないことです。


あるがままでOKとは、まさにいまあるがままの自分でOKだということです。

いま以外の自分にはなれないのだと、早く気づきましょう。





応援よろしくお願いします。

   

Posted by Blog Ranking at 16:18