2009年02月20日

春一番

「どこだ?!」

これ中川君(大臣)が有名にした一言です。


彼には悪いけど、最近暗いニュースが続く中で、あんなに笑わせてくれたシーンはなかったですよね。

日本の恥だとか言うけれど、みんなで深刻な顔して不景気を論じているよりは、あれくらいおバカな大臣を擁する日本って、なんて凄いんだろうって各国に思わせればよかったのに。

なんだか、みんなして型にハマっているような気がするんですよね。

これじゃ、景気も上がりませんよ。



ところで、あの中川君って、元は気が優しいお坊ちゃんだったのが、政界に入って変に力が入り出して、ナメられない様にしようって自己改革してきた人なんです。

あの記者会見はずいぶん偉そうに見えたけど、あれはだんだんその気になっちゃった結果だと思います。


それにしても、政界に入ってしばらくすると、みんなの人相がどんどん悪くなるのはどうしてでしょう。


よほど醜い世界なんだろうけど、それが自我(エゴ)の何よりの御馳走になっているように思います。


したがって、人間として一番劣悪な部分を発揮している人たちに、国民の命と財産を守ってもらっているわけです。


そういうところに国民が気づきだしちゃったから、いまの与党も、野党も、断末魔の様相になってきて、すでに終焉している過去の遺物に、みんなしてしがみついているようにしか見えないわけです。



政治屋さんが政治をする時代は終わったと思うんです。

これからは各分野の専門家や天才たちが、それぞれの部門で力を発揮してくれたら、それが一番いいんですけどね。



政治は僕たちの生活の、一番底辺にあるサービス業だと思います。

ふんぞり返るような仕事じゃありません。



このような社会の仕組みも、驚くような速さで変わっていくような気がしている今日この頃です。
  

Posted by Blog Ranking at 19:11

2009年01月01日

終焉の始まり

去年の一番の出来事は田母神論文がマスコミに取り上げられたこと。

一番残念だったのは、その取り上げられ方が批判に終始していたこと。

せっかく国民単位で正しい歴史認識を議論するチャンスだったのに、またしてもうやむやになってしまったことです。



僕はこう思います。

日本は戦争に負けましたが、負け方を知らなかったので、自国の魂までも差し出してしまったと。


そこからまったく誤った歴史認識がはびこり今日に至っています。

それは一方的な自虐史観です。


なぜそれがいけないのかは、この先の世界の変貌の中で日本の役割が極めて大きいにもかかわらず、そのリーダーシップを取る気概がこの国から生まれないことです。

自国に誇りを持てないで、世界への貢献などできるはずがありません。

それは日本一国にとどまらず、世界の損失だと思います。

日本はそれくらいに能力を秘めた、そして真の平和な世界を建設できる数少ない国だということを、もっと深く自覚しなくてはいけません。



実質的に、今年が21世紀の始まりだと思います。

去年の暮に起きたアメリカ型資本主義の崩壊は、約100年にわたって影響力を駆使してきたアメリカ主導の世界の終焉の始まりです。

もう少し大きく歴史を見れば、この500年にわたる白人の、人種差別を背景にした暴力と侵略の時代の終焉だということです。


西欧による植民地をめぐる大航海時代から考証すれば、地球の裏側の飢餓や、いまなお続く国際紛争などの諸問題の本質が見えてきます。


「欲」と「暴力」による世界構造は終わらせなくてはいけません。



そのためにも日本人が目を覚ますことです。




僕たちが、肉体と精神と魂を併せ持つ三位一体の生き物である以上、この世の問題にも目を向けていかなければならないと思います。


新しい世界に進むためには、つねにタブーへの挑戦を恐れないことです。



事なかれ主義ときれいごとで塗り固めたこの社会の反逆者でありたいと思っています。





元日の夜の独り言でした。
  

Posted by Blog Ranking at 22:52

2008年12月30日

2008年12月30日

わ・か・っ・た



そうだったのか!
みんな一つだったんだ!!



僕もあいつも敵も味方も、みんなみんな・・・ひとつだったんだ






本当はみんなで愛しあえるし、みんなで仲良くできるし、みんなで助けあえるんじゃないか


だってみんな同じ一つの命なんだから・・・




なぜこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。




戦争・・・飢餓・・・生存競争・・・裏切り・・・喧嘩・・・憎みあい・・・




いったい僕達人間は何をやってるんだろう






・・・・・・・・・・・・・・




かんながらの物語を書いたのは1999年の暮れです。

その後2001年の2月になって、エピローグを書きあげました。



あれから10年近い時がたちましたが、世界はあのころのままです。


戦争・・・飢餓・・・生存競争・・・裏切り・・・喧嘩・・・憎みあい・・・



不景気になって贅沢ができないからと大騒ぎしている国があるかと思えば、違う国ではわずかな食べ物さえもなく、不衛生な環境で餓死していく子供たちが後を絶ちません。

相変わらず人は自分のことばかりを考えるのに忙しくて、もうひとつの現実は見て見ぬふりです。




僕たちは「ひとつ」です。

それは哲学ではなく、思想ではなく、事実なのです。



その事実に目覚めることが、世界をそして地球を救う唯一の道だと思っています。





この地上が愛で満たされますように。



合掌
  

Posted by Blog Ranking at 13:30

2008年11月03日

かんながらの道 2

ずっと更新をさぼってしまいましたm(_ _)m

それでは続きです。



神を大いなるエネルギーと捉え、万物に宿りし永遠の命とする、いわゆるアニミズム信仰は、西洋の一神教とは一線を画し、敵も味方もすべて包み込んでしまいます。

西洋文明から見れば、原始的で野蛮な文明とされたネイティブの風習には、いまこそ世界が学ぶべき命や霊性との繋がりが見て取れるのです。


以前からこのブログを読んでくれているという、出版社「現文メディア」のTさんから、こんなメールをいただきました。

一部を抜粋して紹介します。



最近、弊社から出版した『ティク・ナット・ハンの抱擁』の制作を手伝ってくださった人の紹介で、ある集会に参加したのですが、その講演者が、ハワイのフラダンスの説明をしてくださり、フラは随神なんだと解説をしていました。

韓国でも、古朝鮮の時代には、太陽、風、鳥などをあがめながら、とても自然と調和した時代がありました。今のような肉食が入ってきたのは、蒙古の影響だとも言われています。

ですから、このフラの話を聞きながら、韓国の古朝鮮、日本の縄文、ハワイ、アメリカのインディアンの生活などが結びつき、全世界が、随神に帰っているのかなと思った次第です。

一神教は一神教で歴史を動かしてきたのでしょうが、神はお一人でありながら、
すべてに偏在しておられもし、今の時代、我々に自然体に戻ることを願われているのかもしれません。





まさに世界はいま、東洋の時代に移ろうとしています。

それは東洋が経済を席捲するということではなく(そのような事も同時に起こるかもしれませんが)、思想の面から世界をリードしていくということです。



西洋よりも優位に立つと言うのでもありません。


優劣という間違った比較を超えて、真に同胞としての理解を共有することだと思うのです。
  

Posted by Blog Ranking at 09:36

2008年10月27日

かんながらの道

祭りや儀式の最中に見せる忘我のような状態において、シャーマンは何か大いなるものとの繋がりを実感するのでしょう。

その力は圧倒的にして、すべてを包み込む、ダイナミックな命の流れです。


しかもその力は確かなる意思を持ち、刻々と展開する現象のすべてを司っています。

無数の細胞の一つひとつの動きから、銀河系の星々の運行まで、ありとあらゆるものを同時に動かし、その全てに意識を向けています。


そんなことが可能でしょうか。


人間の想像をはるかに超えた、そんな意志と力が存在するのです。



それが神です。



何一つ無駄もなく、何一つ偶然もなく、瞬間瞬間に作り出されるこの世の現象は、奇跡的なバランスの中で、一切のズレを生じさせることなく事を起こらしめているのです。




その同じ力が、あなたの中であなたを生かしています。


どこか遠くを探す必要はありません。


自分自身を知れば、僕たちは「それ」を知ったことになります。




その力を認め、その意思に従って生きる、それが「かんながらの道」です。
  

Posted by Blog Ranking at 16:47

2008年10月24日

かんながら

そもそも、「かんながら」とはどういう意味なのでしょうか。


漢字では

随神

惟神

と書きます。



神と共に生きる

神の思し召すままに

神の御心に沿った生き方をする


そのような意味だと思っていいでしょう。



これは「Let it be」の態度であり、「南無」とか「帰依」とか「サレンダー」とかにも通じる世界観です。


そこには神、あるいは宇宙をつかさどる大いなる意志に対する、絶対的な信頼があります。



大昔から日本人は随神の道を、生きる指針としてきました。

勤勉で、まじめで、よく働くと言う国民性は、随神の道から生まれています。


おそらくは生活の中に、神とつながる何らかの習慣が根付いていたのではないかと思われます。


何故かと言うと、随神の道とは、自分に言い聞かせるだけでは限界があり、そこには神を感じる直接的な体験が必要だからです。


それが宗教的儀式であったのか、祭りの一種だったのかはわかりませんが、今では失われてしまった何かがあったと考えたほうが合理的です。


そこに仏教が伝来し、随神の道も少しずつ変化していったようです。



最近よく、「縄文に帰れ」という言葉を耳にします。

人間界の複雑なシステムに翻弄されることなく、もっと大地や命を感じるような生き方に戻ろうということです。


天河神社に奉公していた時、アイヌの人たちと、沖縄の喜納昌吉さんらと、満月の神殿でしこたまお神酒を飲み、歌い踊ったことがあります。

その時感じた世界は、まさに縄文のそれでした。


根源的な力とダイレクトにつながろうとする、そんな意志を感じました。





つづく

  

Posted by Blog Ranking at 10:37

2008年10月22日

ブログワイドショー

近い将来、このブログから物語の部分以外を削除します。

それまでは、いいたいことを言っておくことにします。



さて今日は何の話にしましょうか。


ロス疑惑でいってみましょう。



まずは三浦さんの死因ですが、僕の霊視では自殺です(ウソつけ!)

あはは、霊視はウソですが、死因は自殺だと思いますよ。

遺族や弁護士側はいろいろ言っていますが、「もはやこれまで」と思ったのでしょう。


僕の友人が、ロス市警が三浦さんを半ば強引に逮捕したのは、和美さん撲打事件の共謀罪だけじゃなく、白石千鶴子さん事件の立件にめどがついたからじゃないかと言っておりましたが、その可能性もあると思います。

いずれにしても何らかの有罪判決は確実な情勢で、軽くても25年以上の刑期が言い渡されたでしょうから、これで人生は終わったと思ったのではないでしょうか。


故人を悪く言ってはいけませんが、その昔、僕の仲良しの知人が、同じマンションにすごい悪が住んでいて困っていると相談してきたことがあります。

いろんなことに難癖をつけて、慰謝料を請求するとのことでした。

今思えば、それが三浦さんでした。

有名になる前から、かなりの存在感だったようです。




さて言うまでもなく三浦さんという存在はかなりユニークですよね。


専門用語では、彼のような人を「演技性人格障害」と言うそうですが、誰の中にも似たような面が眠っているのではないでしょうか。

程度の差こそあれ、ある人が持っていてある人が持っていないという特性などないのではないかと思います。


ただし、それを発揮して生きるかどうかは別の話ですよね。

まして人の命を殺めるなどは言語道断です。


もちろん真実は闇の中ですが、僕の霊視によると・・・

  

Posted by Blog Ranking at 12:45

2008年10月20日

シャバのこと

今日はまたシャバの話にします。


僕たちはもっと生身で、本音で生きなければと常々思っています。


なまじ精神世界などを学ぶと、聖なる意識はこうあるべきだ、愛を基準にしたらどうたらこうたらで、言いたいことも言わずに、いい人ぶっていたりします。

しかもこの国には美学があって、高尚な武士は黙って我慢するのです。

しかし、それは欺瞞ではないでしょうか。


国際社会もそんな日本のやり方が通用しているとは思えません。


やはりおかしいものはおかしいと態度で示さなければと思うのです。



国内においてもそうです。

先日、中山元大臣の捨て身の発言に賛同する旨を書いたら、多くの激励をいただきました。


いまや保守派がサイレントマジョリティーになっているのだと思いました。




さてそんな中での、橋本大阪府知事の発言。

久しぶりに、クリーンヒット。




以下は産経新聞の記事です。



大阪府の橋下徹知事は19日、兵庫県伊丹市の陸上自衛隊伊丹駐屯地で開かれた陸上自衛隊中部方面創隊48周年記念行事に出席し、祝辞の中で「口ばっかりで、人の悪口ばっかり言っているような朝日新聞のような大人が増えれば、日本はだめになる」と述べた。


え?もう一度言って。


「口ばっかりで、人の悪口ばっかり言っているような朝日新聞のような大人が増えれば、日本はだめになる」


感涙 (TmT)ウゥゥ・・・




僕たちは、あまり深刻ならずに広々とした視野から物事を見つめることが大切だと思います。


あまりに偏ってしまった社会の風潮を見つけたとしたら、それを中道に戻すべき逆の極端を持ってくるのもひとつの方法です。


少しずつでも、欺瞞に満ちた社会正義のメッキがはがれ、真実の声が飛び交う世の中になればいいと思います。




そうすれば今の子供たちも、大人の社会を少しは認めてくれるのではないでしょうか。


  

Posted by Blog Ranking at 08:02

2008年10月17日

一番言いたかったこと

そして最後に一番言いたかったこと・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・



さあ、前に進みなさい

多くの人達に出会っていきなさい


この世にはあなた以上の人も、あなた以下の人も一人もいません

すべては<あなた>なのですから



したがって同胞との出会いと交流があなたにできる全てです


一人ひとりと正直に誠実に、真正面から開かれた関係性を作っていきなさい


やがてその関係性の中にあって共通の理解が生まれます

それはその時その人に必要な理解であり、さらに深く進む推進力です




その中にあって事は自然に展開していきます

そして多くの人達が『鍵』は最初から開いていたことを、そもそも心のドアなど存在しなかったことを理解するでしょう




真理はいつも明白です

何一つ隠されることなく、いつも目の前に展開しています


あなた方がわざと気づかない振りをして、幻想のゲームを楽しんでいるだけなのです



ほらごらんなさい

たった今、目の前に広がるこの壮大な神秘を!




以前はごく一部の選ばれた魂だけが、「悟り」と一つになることができました


そして今多くの魂達が目覚めの季節を迎えています



それは連鎖反応のように次々と大地に花開き、やがては地球全体を覆いつくしていくでしょう


その時、無数に分裂していた意識の破片が、大いなるひとつに統合されていくのです

そんな予感をすでに多くの人達が持ち始めています



やり方は簡単です

この先に進むのは想像よりはるかに簡単なのです



怖れを捨てて自分の「本当の声」を生きて下さい



それを始めたとたん事態は一変します

もうあなたは一人ではありません


同じ理解を生きる仲間達と全ての必要を満たしあうことができます



あなたがありのままでいればいるほど、事はますます楽になっていきます


そして自然に事が起こり出すのです




それは「随(かんながら)神」の道です




すべての自由があなたに与えられています



悟りさえもあなたの選択であり、あなたの自由です


誰もそれを妨げていません



目を醒まして今すぐ夢から覚めるのもよし

今のまま夢を見続けるのもよしです



心配ご無用


どちらを選んでも、必ずいつかは大いなる一つと一体化するのですから


正確には、今までもそして今もずっと一体だった事を思い出すだけですが・・・




だから大した事ではありません

「悟り」をあまり大げさにしないで下さい



この世にあなた以上の真理はなく、

あなた以上の神秘も存在していません。




実のところ全ての人々はすでに悟っています

ただそのことを忘れてしまっただけです






どこを探しているのですか?




私は『いま・ここ』です





  

Posted by Blog Ranking at 18:45

2008年10月16日

いつか気づくさ

わかった!!


そうだったのか!

みんな一つだったんだ!!


僕もあいつも敵も味方も、みんなみんな・・・ひとつだったんだ


本当はみんなで愛しあえるし、みんなで仲良くできるし、みんなで助けあえるんじゃないか


だってみんな同じ一つの命なんだから・・・


なぜこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。


戦争・・・飢餓・・・生存競争・・・裏切り・・・喧嘩・・・憎みあい・・・


いったい僕達人間は何をやってるんだろう



・・・・・・・・・・・・・・



いつかきっとみんなが気づくさ


こんなあたりまえの事にきっと気づくさ



その時すべてが解決するんだ

その時、悠久の昔からの人類の夢がすべて・・・







物語の冒頭に出てくるAの気づきです。


これが全てです。

ただ、このことを伝えたいと思いました。



昨日、<あの世に聞いた、この世の仕組み>の黒斎さんの言葉を読んで、ああそうか、同じことを感じて、同じことを伝えようとしている仲間がいたんだと思いました。


まだまだ僕が知らないだけで、そんな仲間が次々と誕生しているのだと思います。



いま、真剣に第二部の構想を考えています。

予告だけでなかなか進みませんでしたが、少し輪郭が見えてきました。


  

Posted by Blog Ranking at 10:12

2008年10月15日

僕たちの役目

この宇宙には無駄なものは何一つありません。

一人ひとりの存在も、お互いの関わりも、出会いも別れも、すべて必要な時に必要なことが起きています。



それは至高体験の中で誰もが感じることです。


いままでの全ての出来事は、この「気づき」のために存在していた。

全ての人の存在理由も、まさに究極の意識に到達するためのものだった。


そのことに確信を持ちます。



僕たちが根っこで一つにつながっていること。

つながっていると言うよりは、まさに「同じひとつの存在」であることを僕たち全員が知る日が来ることでしょう。


その時に、人類の長年の夢だった、地上ユートピアの建設が始まるのです。



それが2012年に始まると言う人もいますし、もっと先の話だという人もいます。



少なくともそこに気づいた人たちが、まずは自分の縁ある人たちへ、気づきに向けた洞察を与えていくことだと思います。



僕たちが今生において何を職業にしようと、本来の役目はそこにあると思っています。



  

Posted by Blog Ranking at 09:10

2008年10月14日

オリジナリティー

煙草をやめてからどうしたか・・・

ギターと歌の猛練習です。


これは性格かもしれませんが、ずっとご無沙汰していたファンの方にみっともない姿を見せたくなかったのでしょう。

あの頃よりも、さらに上達したパフォーマンスを見せたいと願ったのです。



その甲斐あってか、感覚はすぐに蘇ってきました。


というよりも、全然違うレベルのアーティストになっていると感じました。


それは音楽的な技量だけでなく、存在そのものの違いが作り出す迫力のようなものです。




若いころの音楽には、自分というものがあまりありませんでした。

もともとは西洋の音楽であり、自分が憧れたミュージシャンのコピーから始めていたので、どこまでいっても偽者で、せいぜい二流のコピーマシーンのような存在でした。



それがいつのまにか「自分」を持っていたのです。

センスとしての優劣はともかく、少なくともオリジナリティーが生まれていました。



これは人生も同じで、人の真似や人のフリをして生きているときは限界があります。


しかし、自分に自信を持ち、自分の考えで独自な生き方を始めた時、そこに真の創造性が発揮されます。



期せずして、そんな自分になっていたのでした。


  

Posted by Blog Ranking at 10:11

2008年10月13日

人生の選択 2

とはいうものの、人生は選択の結果だと言いきれることもあります。



沖縄のラジオ局との電話で「ライブやりましょうか」と言った時、僕は自宅のソファーに座って、煙草をふかしながら話していたんです。



その時思いました。



声が全然出なくなっているけど、本当にライブを再開するなら、まずこの煙草をやめることだって。


そして同時に思ったんです。


僕の選択次第で、今吸っているこの煙草を、人生最後の煙草にすることも可能だなって。


そして実際、そうなりました。





いま煙草を吸いながらこのブログを読んでいるあなた。


それを最後の一本にすることも、あなたの選択次第でできるのですよ(笑)




やめて7年半が経ちますが、言うまでもなく身体が喜んでいます。


これは僕の選択の結果ですよね?




え?そのタイミングでそう考えることが決まっていたから、それも定められた運命ですって?


だったら、自分の意志でその運命を作ってみたらいかがでしょう。




人生は定められた運命か、それとも自分の選択次第か。


あはは、この話は堂々めぐりですね。



  

Posted by Blog Ranking at 11:55

2008年10月12日

人生の選択

早いもので、もう7年半になります。

沖縄のラジオ局からのインタビューで、「もうライブはやらないのですか」と聞かれ、思わず「やりましょうか」と答えたのが2001年2月でした。


そう答えながら、もう一人の自分が「え!?マジで?」って驚いていました。

だってギターも弾けなくなっているし、声も出ないし、自分で作った歌の歌詞さえも忘れていたからです。



もしあの時、もう少し理性的な自分がいて、「歌ですか?それはすでに終わったことです」と答えていたとしたら、その後の人生は大きく変わっていました。

僕の人生だけでなく、家族全員の人生が変わっていました。


今沖縄に住んでいないことだけは確かです。



人生には自分でも説明つかないような選択をしてしまうことがあります。

しかも、その選択が人生全体に大きな影響を与えるのです。



人生に「もし・・・」はないと言いますが、それでも考えてしまいます。


もしあの時・・・





人生の筋書きは全部決まっているのでしょうか。

自分がその瞬間何を思い、何を考え、何を選ぶのかさえも決まっているのでしょうか。


それとも全ては自由意志で、混沌とした未来の無限の選択肢の中から、瞬間瞬間何かを選ぶことで人生を作り出しているのでしょうか。


僕はその両方のような気がするのです。


決まっているのに決まっていない。

その両方が同時に起きているように思うのです。



そのことの真実を追求することが「かんながら」の物語の大きなテーマでした。


これを読んでくれているあなただって、何かがほんの少し違って入れば、まったく違う道を歩いていたのではありませんか?



  

Posted by Blog Ranking at 15:04

2008年10月11日

君のおかげ

さてそのレンタカーなんですけど、乗っている間にどれくらい労わってあげているでしょうか。


一日24時間、一瞬も休むことなく働くだけ働いてくれています。

それも生まれた瞬間から、死ぬ間際まで、ずっと休みなくです。



それなのに僕たちときたら、「いつもありがとう、君のおかげだよ」なんて優しい言葉をかけることもなく、働いて当然というような態度で接しているような気がします。


それどころか、足が短いだの、腹が出てきただの、太り過ぎだの、痩せすぎだの、背が低いだの、なんだのと、体に文句ばかり言っているのではないでしょうか。

それでも健気な体は、不平不満を言うことなく、ただ黙々とその役目を果たしてくれています。



車もたまにはチューンアップしたりメンテしたりしますが、体にもしてあげたいですね。




実はそんなことを考えるようになったのは最近で、ここ数ヶ月間筋トレに励んでいます。


そしたらね、身体が喜んでいるのがわかるんですよ。

細胞の一つひとつが活性化しだしたような、そんな感覚があります。



で、時々腕や胸をさすってあげて、「今までよく頑張ってくれたね、大切にするからね」なんて声をかけるようになりました。



僕らが最初に感謝しなければいけないのは、地球からお借りしているこのレンタカー(身体)かもしれませんね。






そんなわけで、これからも応援よろしくお願いします。

 
  

Posted by Blog Ranking at 13:41

2008年10月10日

肉体はレンタカー

もう少しだけ、死について語ってみます。


死ぬ時には何が起きるのでしょうか。


結論を言えば、死んでも何も起きません。

なぜなら、死なないからです。




肉体はこの世で生きるためにお借りしたレンタカーみたいなものです。


どんな優秀な車も使っていれば古くなり、修理しながら何とか持ちこたえさせようとしますが、それもいつかは限界がきて、エンジンがストップしてしまいます。

それが死ですが、運転手はまったくの無傷です。



車から降りると何が起きるのでしょう。


それは狭い車内から、広々とした大地に足を踏み出すのと似ています。



あまりにも清々しい空気。

あまりにも圧倒的な解放感。

そして広々とした自由な感覚に包まれていきます。




今までに、生きながらにしてそのような体験を何度かさせてもらいました。


「なーんだ、死なないんだ」


そう思ったとき、人生感がガラリと変わりました。



この世で何かを成し遂げなければいけないといった強迫観念がなくなりました。


そもそもレンタカーに乗って何処かに向かっているつもりでいましたが、実際にはサーキットコースのような巡回道路をぐるぐる回っていただけで、どこにも行きついてなかったのです。


前を走る人に追い付き追い越せと走ってきましたが、どこまで行っても前に人がいます。


あれ、この人はずいぶん昔に追い越した人じゃないかって気がつく時もあります。


一周遅れで前を走っていたのです。



何度抜いても同じこと。


だって何周したかを競うレースではなく、まさにいま、どのような走り方をしているかが問われているレースなのですから。





だから、気楽にいきましょう。








これからも応援よろしくお願いします。

 
  

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2008年10月07日

死という祝福に向かって

死が自分に迫ってきたらどうするだろう。

人は決して死から逃れることができない。

だとしたら、死のプロセスに任せてみよう。

戦わないで、死を友として迎え入れてみよう。



そんな心境を持ち続けたいと思っています。


死はあらゆる存在の宿命です。

それは物質(肉体)からの解放であり、大いなる祝福だと思います。



未知なものに対する恐怖心が、死をややこしくしています。


しかし、その旅立ちをワクワクする冒険ととらえて、その一切を目を凝らして見届けることができたとしたら、その時に人は死を超えることができます。

死は存在しないことを見抜くからです。



そこに行きついた意識は、もう二度と生まれてくることはないと言います。

苦しみである人生に再び投げ出されることはないのです。



もし人生に目的があるとしたら、そのような死に方ができるような自分になっていくことだと思います。


死にざまが生きざまです。




「随(かんながら)神」の物語は、つまるところ、「いかに死ぬか」という物語のように思います。


神の思し召すままに、死さえも委ねて生きていたい今日この頃です。





ーお知らせー


このブログは10月8日午前2時から10月9日午前10時まで、サーバーの都合により閲覧できなくなります。


あらかじめご了承ください。






これからも応援よろしくお願いします。

   

Posted by Blog Ranking at 10:06

2008年10月06日

時間のスピード

それにしても時間のスピードが速いですね。

もう10月6日ですか。



気持ち的には9月6日くらいなんですが、このスピード感は何なんでしょう。

それは歳をとったからかもしれませんが、子供も同じような事を言うので、どうやら歳のせいだけではなさそうです。


2012年にかけて、一日がどんどん短くなっていくって言う人がいますが、物理的にそれがどういうことなのか僕の頭ではわかりません。

でも最近は特に、あっという間に一日が終わることだけは確かです。


昔の一日が24時間だとすると、今はその頃の12時間くらいを24時間として生きているような感覚です。


一日の長さが半分になってしまったような・・・

去年は3分の2くらいに感じていたので、さらにまたスピードアップという感じです。


この調子で来年はさらに一日の感覚が短くなり、2012年12月にはついにゼロポイントに達するとか。



ゼロポイントって何?


時間が無くなるってこと?


そうなると、みんなが「いまここ」に生き出すのでしょうか。

そしたらいいですね。


戦争は起こらなくなるでしょう。

だって世界中の人が「いま」を生き出せば、他の国や人種を攻撃したりすることが無意味になりますから。



それがアセンションなのでしょうか。


欲望や執着は時間の中に存在しています。

欲望は未来の中に、執着は過去の中にあります。


そのどちらもなくなってしまうことが悟りだとしたら、僕らは難なく悟れるのかもしれませんね。





とにかく一日が短く感じる今日この頃です。






多くの人に届きますように

   

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2008年10月03日

第二部のこと

昨日、この物語をプロローグから読み直してみました。

確かにあの頃の自分がいると思いました。



また続編を書きたいと思うのですが、なかなか前に進まないままです。


おそらく内容は、2001年にラジオ沖縄からメールが来た後、自分の現実に何が起きていったかということを書けばいいのですよね。

それが僕の<かんながら>なのですから。




早いものであれからもう7年半が経ちました。


十分なドラマがありましたし、心の変化もありました。




沖縄を描きながら、第二部を構成できたらと考えています。




いましばらくお待ちください。






これからも応援よろしくお願いします。

   

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2008年09月30日

大相撲問題

今日も評論家気取りでいってみましょうか。


実はロシア人力士、若ノ鵬には少し同情的だったんです。


慣れない日本文化の中で頑張って稽古して、幕内まで上がるっていうのは並大抵の努力じゃないわけで、大麻も言われているほど悪いものじゃなさそうだし、確信犯だったとしても、つい日本の法律を甘く見てしまった異国のおっちょこちょいさん程度の扱いで、まあ1年間くらいの出場停止処分ってとこでどうでしょう日本相撲協会さんなんて思っていました。


でもね、その後の経過はなんて言うか、ちょっと悲しささえ覚える展開ですね。

八百長相撲の告発や、他にも大麻やっていた力士がいたのに何故自分だけがみたいな記者会見はいけませんでした。

誰も止めてあげられなかったんでしょうか。


おそらくは相撲協会の弱みをちらつかせることで、自分の相撲会への復帰の道が開けるくらいに思ったんでしょうが、そうはいかないのは日本人なら誰でもわかりますよね。

ここが国民性の違いなのか、それともあまりの世間知らずの子供なのか知りませんが、なんとも哀れです。



八百長相撲は大昔からあると思います。

東西横綱が全勝同士で千秋楽にぶつかりあうなんていう一番は、さすがにガチンコだと思いますが、それ以外ではけっこうあるんじゃないでしょうか。



もうずいぶん昔の話ですが、知り合いの三役力士と飲んでいた時、彼に聞いたことがありました。

「わざと負けたりすることあるの?」


そしたら彼が言いました。

「いつも世話になっている先輩が、負け越しがかかっていたら、さすがに力は出ないでしょ(笑)」


金銭のやり取りがなくても、心情的に真剣にはなれない場合があるってわけです。


相手が相撲人生かかっていて、自分がすでに勝ち越していたら、白星のひとつくらいプレゼントしようって。

こちらが反対の立場になったとしたら、相手もこの前のお礼ってなるのが人情ですよね。



そのくらいのことはあるわけです。

だって同じ一座を背負って立つスター同士なんですから。



だからいまさら八百長問題で騒いでいるほうがおかしいんであって、そういうのは片目をつむって楽しむのがいいと思うわけです。

いずれにしても、あれだけ鍛えぬいた男たちが、裸でぶつかり合うんですから、見る価値はありますよ。




以上、大相撲評論家のAがお伝えしました。





これからも応援よろしくお願いします。

   

Posted by Blog Ranking at 12:32