2007年05月23日

インドの巻

インド 西海岸からやや内陸に入った高原都市
プーナ市



高い塀に囲まれたとてつもなくリッチな屋敷の角を曲がると、戦後の焼け跡のような貧民街が忽然と姿を現す


カースト制度が歴然と残るインドの貧富の差は、想像以上のものだ



裸同然の子供たち


軒先では働き盛りと見られる男達が、痩せ細った身体を横たえて、なんの目的もなくただ時間が通り過ぎるのを待っているかのようだ


そういえばこの国の人たちは輪廻転生を当たり前のように信じているって聞いた事がある


今生で急がなくても来世があるさってことだろうか




広場を抜けて街にでる



三輪車やトラックやリキシャ(オートバイの後ろに人力車のようなものをつけたタクシー)がクラクションを鳴らしながら埃っぽい道をけたたましく走っている



そんな車達に注意を払いながら交差点を渡っていると、急に横から痩せこけた牛が歩いてくる



信号機などあったもんじゃない


牛はなに食わぬ顔でゆっくりと車道を横切っていく



車はみんなあたりまえのように一旦停止をする

神聖な動物に失礼がないように細心の注意を払っているかのようだ



それにしてもどこから迷い出てきたのやら・・・

飼い主は何をしているのか・・・




もしかして『のら牛』??


見ると向こうの方にも道の真ん中に牛が一頭寝そべっている





『なんだかとんでもない所に来ちゃったな』




地図を片手に指定されたホテルを探している



路地をひとつ曲がった所にあるエコノミーホテル
「HOTEL Mahayana」



「あっここだ!!」



中に入ると小さなフロントと午後の陽が差し込んだ明るいロビー

フロアーには観葉植物がたくさん置かれている



その傍らにはトロピカル調の籐の椅子が並んでいる。



その一角でコーヒーを飲みながら雑誌を読んでいる日本人男性


どこかで見た顔だ



「あれ?!猪山さん?」


「おっAさん!!!インドに来てたのか!?」



「偶然、喜納さんのコンサートツアーに同行する仕事が入って、今着いたんだよ。ここに来れば喜納さんたちに会えるって聞いて」


「それは残念。昌吉たちはリハのために宿舎を会場の近くに移したよ。本番は明後日だ」



「そうか、リハーサルじゃ行ってもしかたないな。せっかくインドに来たんだし今日はゆっくりするか」




「そう言えばシャンタンがすごく会いたがってたぜ」


「そうだ!その後『7つの鍵』の正体はわかったのかい?」



「しっ!あまり大っぴらに言いなさんな。誰が聞いているかわからん
あれから明らかに俺たちの行動を監視しようとする動きがあったんだ」


「え?一体誰が?」



「それがまったくわからないときてる。まっとにかく一旦俺の部屋に移ろう」





ホテル内
猪山の部屋


これといって豪華な調度品もない簡素な客室

ベッドと椅子に2人が座っている



猪山「天河で別れたあとの事だ。天の川ぞいに南下するとその流れはやがて十津川に変わり、さらには熊野川へと達する。その川沿いにある熊野大社の境内でバリ舞踏の公演があったんだ。境内は現地の人達や観光客達で埋め尽くされていた」



シャンタンから誘われた時、本当は行きたかった熊野

そこで何があったのかは、ずっと気になっていたことだった




「ボブが受け取ったひとつ目の鍵の言葉が成就した夜だった」



『ひとつ目は衣替えのすぐ後に南の島の兄弟が川下で神々の舞を踊る夜です』






-----平成元年7月下旬の夜 熊野大社境内------


境内一面にビニールシートが敷かれ、大勢の観客が腰をおろしている

仮設舞台の上に向かって何台もの照明が当てられ、そこだけが浮き上がって見える

バリの仏教寺院を象った大道具が何点か設置されている




そこで代表的叙情詩「マハーバーラタ」が上演されている


ガムランの生演奏が会場いっぱいに流れる



民族衣装に身を包み、神秘的な指の動きとギロっと開けた大きな目、そして訓練された独特の首の動きに、観衆が見入っている



客席の中
シャンタン「舞台袖にいるあの男がおそらくクンタだろう」

何人かのクルーの中に、ひときわ体の大きいするどい眼光の男が座っている



シャンタン「約束は10時だ」

舞台の上では男達のケチャックダンスが始まった





公演終了後の境内

後かたづけが続いている



杉の大木の下でシャンタン達3人が誰かを待っている


するとむこうから現われる人影


すっと3人に近づくと小さな声で

「通訳の伊藤です。クンタからの指示なんですが、ここは危険です。
いったんばらばらに別れて下さい。12時に那智の滝で待っています」



猪山「危険?どういうことだ」


「説明している暇はありません。すぐにさんさんごうごうに別れて、相手を撹乱するんです。」



シャンタン「わかりました。さぁみんな早く。僕だけが接触するから、しばらくしたらテントに帰っていてくれ」




全員がバラバラの方向へ歩き出す




少したって何本かの木立の影から数人の黒い人影が音もなく集まってくる


何やら小声で打ち合わせをして、それぞれが一人一人の後をつけだした





深夜2時

海を見下ろす段々畑の奥にある森の中

こじんまりとした空き地にたてられた少し大きめのテント



ランプの薄明りの中で2人がヒソヒソと話しをしている



猪山「シャンタン遅いな。何かあったのかな」

志織「でも誰かしら。かなりしつこく付きまとわれたわよね」


「俺もだ。農道でわざと立ち止まって、逆向きに『わ~』と大声出して走りだしたらあわてて逃げていきやがった。ここの場所は気づかれなかったか?」


「途中でうまく巻いたから。でも相手はこちらが気づいたことを知っているよ。いったい目的は何かしら」



その時ヒタヒタと誰かが近づいてくる気配


話を止め緊張して息を飲む二人



入り口がスッと開き、シャンタンが入ってくる


「あっシャンタン、心配したわよ。大丈夫だったの?」


「シャンタンのことだからうまく煙に巻くとは思っていたがね」



シャンタン「皆も無事だったかい?」


「私たちは大丈夫よ」




足を投げ出して手を後ろにつき、顔を上にむけて「ふ~」とため息をつく



その後あぐら座りに座りなおして

「クンタは自分の周囲に異質な波動が接近していることを早くから察知していたようだ。そして我々の周りにも・・・」


志織「じゃあさっきのことは?」

「そう、クンタのおかげで彼等を巻くことができた」



猪山「誰なんだ、奴らは」

「まだわからない。でも我々の動きを監視していたことだけは事実だ」

志織「なんだか気味が悪いね、こんな事って本当にあるんだ」


猪山「で、鍵はどうなった?」

「ここにある」
といってポシェットの中から古ぼけて茶色に変色した紙の束を取り出すと


「これはかなり高度なメッセージだ」





インドのホテル
猪山の部屋


ドアがノックされ、志織が顔を覗かせる


「あら?!Aさんもう来たの?」


「え?!」


「驚いた!シャンタンに言われてきたんでしょ?」


「いや、僕は僕の用があってここに来たんだよ」



「凄いね!!なんだか夢見てるみたい!シャンタンが言うように起こる事が起きているんだね」



猪山「今、一つ目の鍵を受け取った時の話をしていたんだ」

「あー、あの時はスリルあったよね」


猪山「クンタが祖父からそれを受け取ったのは30年も前のことだそうだ。
バリ島にある白峰の霊山では大昔からサラスバティー(弁財天)をお奉りしていて、日本の天河と霊縁でつながっているとずっと言い伝えられてきていた。
そしてその天河が衣替えをする時にこの鍵を伝えるように言われていたそうだ」



志織「クンタの家系は代々その山を守ってきているのよね。ちょうど柿坂家が代々天河を守ってきたように・・・」



猪山「クンタは、バリ島に来た日本人観光客から天河神社のお建て替えの噂を聞いて、片言の英語で神社に電話をかけてきた時、たまたま社務所にシャンタンがいた。

英語がわかるのが彼だけだったので、彼に電話を代わったんだ。
これもおそらく偶然ではなかったんだろうよ」


志織「シャンタンはクンタがバリ舞踏の教師として日本公演に同行する時に、天河の民に渡したいものがあると聞いて、ボブの話しとのあまりの一致に驚き、そして事の全体を確信したの」



「で・・・君達はもう中身を見たのかい?肝心の内容は?」



志織「それがね、なんとセックスに関することだったの」


「え?!セックス?」


志織「そうよ。でもとても崇高なメッセージだった」



猪山「今シャンタンは2つ目の鍵の事で出かけているんだ。
きっと夕方には戻るだろう。
それからゆっくり説明を受けたらいい。とても興味深い話だから」


志織「どこのホテルに泊っているの?」


「いや、まだとってないんだ」


「ちょうど喜納さん達の部屋がキャンセルされているはず。今はガネーシャ祭で観光客が多いから他を探すのはたいへんよ。このホテルにしたら」





同ホテル 夕刻

Aの部屋の電話がけたたましく鳴る



ベッドで眠っていたAは手だけで枕元の受話器を上げる
「もしもし」

志織「シャンタンが帰ったわ。407号室よ」





407号室

ベルを鳴らすと中から猪山が顔を出す

「よう!入りなよ」


中には志織とシャンタンがいる。


シャンタン「また会えたね」


「本当はとてもインドまで来れる状況じゃなかったんだけど、いろんな偶然に後押しされて、気がついたら来ていたという感じなんですよ」


「そう。必要な時には必要なことが起きるからね。多くの人は偶然でかたづけてしまうが、いつでも誰の身にも起こっていることだよ」


志織「Aさんも夕食まだでしょ?チャイニーズレストランで何かテイクアウトしてくるね」

猪山を誘ってでかけていく。



2人きりになってすこし沈黙が続く。




A「熊野では大変だったようですね」


シャンタン「ああ・・・少しまわりが騒がしくなってきてね」



また少し沈黙が続く。




シャンタン「Aさんは『7つの鍵』にかなり興味があるでしょ」


「そりゃあ・・・天河で古文書を読んだ時はびっくりしたし、ボブの話しを聞いた時も書かれていたことが現実に起こったと思うと正直言って驚きでしたね。そして今、またここであなたといる事が不思議だな」


「これがどういうことかという実感がまだないようだね」


「実感?」



「うん、あなたがここに招待された事をどう思う?」


「招待?!」



宮司の顔を思い出す。
『あんたはここに呼ばれてきたんじゃ』



「一年前にこういう展開を少しでも予想していたかい?」


「全然!だいたい天河のことさえ知らなかったし、今頃はバンドのプロデュースをしているはずで、そうなる事を信じていたし・・・」


「そうだろうね。でもそれはあなたの仕事じゃなかったんだよ」


そう言われてみれば心のどこかで、いつもなにかが違うと感じていた



「あなたにはまったく違う使命があったんだ。天河に呼ばれたのもその一環さ」



「・・・・・・」


シャンタン「ボブが聞いた鍵を受け取るためのメッセージは2つだけだったんだ。実は今朝方耳にしたんだが、3つ目の鍵を見つけるのはどうやらあなたのようだよ」


「え?!!」


「3つ目の鍵は天河のサファール・アルチャンが手にするという予告があったんだ」


「??」


「アルチャンとはサンスクリット語で祈る人、サファールとは旅人という意味さ
すなわち天河の旅人の神主、それはAさん、あなたのことでしょ」


「僕のこと?」



「そう、神社建て替えの時期を考えればあなたしかいない
それにあなたは我々とこうして現実に出会っている」



シャンタンの言葉には、いつにも増して説得力があった



「実は今日、あなたに連絡を取って何とかここに来れないか要請しようと思っていたんだ
それがすでにあなたはここに来ている。これ以上の証明が必要かい?」



「!!・・・・で・・・いったい・・・誰が予告したの?」


「それは今にわかる。あなたもその方に会うことになるだろうから」


「・・・・・・・」




長い沈黙




「どうやら先を急ぎすぎたようだね」

シャンタンは籐の椅子から立ちあがると空気を入れ替えるために窓を開けた


外からは様々なクラクションの音が聞こえてくる
日本と比べて遠慮のない音だ



「鍵の内容は志織達から聞いたかい?」



「性に関するという以外はなにも」


「そうか」


再び椅子に座りなおして、


「これを理解するにはとても繊細な感性が必要なんだ
そしてあれこれと偏見を持たないことだ
我々はすでに「性」に対して様々な観念を持っているからね

Aさんは自らの性や性の衝動について、仲間達とよく話しをするかい」


「え?・・・いや、ほとんどないかな・・・」


「スポーツや政治の話しはどう?」


「それはたまにするかも」


「どちらが身近な問題?」


「そりゃ・・・・性だよね・・・」


「にも関わらず多くの人は真面目にその事を話すのを避ける
会話したとしても冗談半分だったり、秘密めいていたり
性は社会全体でタブー視しているものの一つだから

長い歴史の中で我々は性に対してあまり健康的ではないイメージを押し付けてきたんだ」


性の話というのはなんとなく気まずい感じがするものだ

実際にいまもすでに居心地が悪い気持ちを味わっている



「鍵の内容を話す前に、もう少しそのことを説明しよう
それくらいデリケートなテーマだから」

シャンタンは椅子に座りなおすと、真剣な表情でじっとAを見つめた



「大昔には性に対する社会の評価はだいぶ違っていたんだ

2000年前にイタリアの火山灰の下に埋ってしまったポンペイという都市があったよね
そこを発掘したら意外な事実がたくさん出てきた

まず大聖堂に描かれた壁画が男女の性行為そのものだったこと
さらに市長選挙の立候補者の中に今で言う売春婦がいたこと
ポスターの位置からしてその女性はとても身分が高かったことがわかっているんだ」


「そうなの?」


「その後の宗教の影響もあって、歴史の中で人々は性衝動を抑圧し始めた
その不自然さから、人間は内側にも外側にも大きな問題を抱えることになったんだ
性はその性質からして存在の基盤であり、もっとも強力なエネルギーだからね」


「・・・・・・・」


「抑圧された性エネルギーは出口を求めて荒れ狂う
ほとんどの現代人は何かの形で影響を受けているよ

自分の内部で葛藤を起こしている

罪悪感から自分を否定して責めたり
その反動で必要以上の性行為に走ったり

禁欲もフリーセックスも
やっていることは正反対でも、その問題の根っこは同じところから来ている

最近の心理学では権力欲や支配欲の多くも、思春期の未完了の性エネルギーが原因だということがわかってきているんだ」



「・・・・・・」



「もし18才くらいまでに、性衝動を健全に処理するような教育と社会システムがあれば、この世の多くの問題は解決するだろうね」


「そうか、とすると・・・その社会システムが一つ目の鍵?」


「いや、最初の鍵は性エネルギーを使って超意識に登り詰めるための実践方法だよ」


「・・・?!」


「あらゆるエネルギーの本質は一つ
ただその形態が違うだけだ
性エネルギーも悟りのエネルギーも同じものさ

人はセックスに対して、あたりまえな健全さを無くしてしまったんだ
この鍵を使いこなすには、セックスを善悪で見ないで、あるがままの事実として扱えるようなニュートラルな態度が必要になる

たとえば、見るとか聞くとかの行為と同じように、セックスという行為もあたりまえのこととして受け容れるってことさ

もし、何かを「見る」という行為を神に反する行為だとして、それに反対して抑圧したらどうなる?
「目」という器官は汚らわしいものになる


見てはダメだと言われれば言われるほど、人は見たいという欲望を持つだろう
そして見た後に罪悪感を持ったり、たくさん見たと言って人を非難したりする
それと同じ事がセックスに起こったんだよ」


「なるほど、そう言われてみれば僕らはその行為に対して偏見の塊みたいになっているね」


「その理解が持てたら、鍵を使う準備ができたことになる
さらにね、それをリードする側には、特にそれが男の場合は特別な資質が要求されるんだ」


「資質?」


「それは性行為において、性の興奮を100%コントロールできるということ」


「?!」


「ここはきわめて重要なポイントなんだ

性という根本的なエネルギーを使って悟りに至る技法は、すでに数千年も前からタントラという秘教において語り継がれている

今回手にした鍵の知識は、その秘教の奥義をさらに深め、現代に生きる我々にも理解できる形で解説されたものだったんだ


このタントラの性の技法は、覚者を名乗るペテン師たちの性欲を満たす道具として利用されてきた


そんな輩を見分ける意味でも、この性の興奮を完璧にコントロールする力があるか否かは、これを使いこなす者の資質として極めて重要だと鍵は伝えている」


「そういう力を身につけると人はどうなるの?」


「荒々しさが消えて、やわらかさやしなやかさが滲んでくるんだよ
仏像に見られる中性的な美しさがその印しだ」


「それは性欲が無くなったってこと?」


「そうじゃない、性の力は人間としての基本的な力だからね
意識が高みに昇りつめてもそれは残る

その欲望の渦中にあって、まったく影響されることなく覚醒していられるということさ」


「そんな人いるの?」


「一つ目の鍵はとても高度だ
だから鍵を手に入れていく順番は必ずしも魂の成長の段階ではない気がするよ
もしかしたらこれは他の6つの鍵をすべて使いこなした最後に使用するものかもしれない

これを実践できるほどまでに高まる為の鍵もきっと用意されているはずなんだ」





陽は大きく西に傾いていた

ホテルの窓からは、赤く染まった街並みが見て取れた

プーナ市はインド国内でも中程度の都市だという

それでも人口は100万を超える
目の前の道も多くの人や車で溢れていた

通勤帰りの自転車やバイクや車の群れ、そんな彼らのすぐ脇を骨組みだけのトラックが土埃をあげて乱暴に走っている


少しひんやりとした風を感じて、Aは窓を閉じた


バンコク経由でインド西海岸のボンベイに着き、そこから飛行機を乗り継いでやや内陸部にある高原都市プーナに到着したのは昼少し前だった


喜納昌吉やバンドメンバーと合流するために指定されたホテルに来てみたら、彼らはすでに他のホテルに移り、その代わりに天河で出会った3人組といきなり再会することになった

昌吉等と行動を共にしていれば彼らと出会うことになる事は予想していたし、期待してもいた


それが肝心の昌吉と会う前に、こうして彼らと出会っている

まるでそれが本当の目的だったと言わんばかりの展開だった



急に空腹感が襲ってきた

そういえば明け方に乗り継ぎのボンベイ空港で軽食を取って以来、何も口にしていない

インドに着いたら滅多なものは口にするなと経験者から固く言われていたからだ



その時ドアのベルが鳴った


夕食を買いに出た志織達かと期待したが、ドアを開けて入ってきたのは若い日本人女性だった


「こんばんは」

オレンジ色の長いローブの上からサリーを身にまとった姿は、旅行客というよりは現地で長く暮らしている風体だ


シャンタン「こちらがAさんだよ」


「パトラって言います、よろしく」

カールした長い髪と、切れ長の目が印象的な女性だった


それにしてもシャンタンといいパトラといい、日本人なのにおかしな名前で呼び合う人たちだ



「パトラはダルマージの講話録を日本人向けに翻訳しているんだ
今回の鍵の翻訳も彼女がしてくれたんだよ」


「あなたが天河のサファール・アルチャンね
こうして直接会えるとは思わなかった
アシュラムでは昨日からあなたの噂で持ちきりよ
ダルマージは何でもお見通しだからね」


「??」


シャンタン「ははは・・・あなたが知らないだけで、もうすでにあなたは「7つの鍵」を手に入れるためのキーマンのひとりになっているんだよ
そんなあなたに鍵の知識を少しでも多く知っておいてもらいたいから、それでパトラを呼んだんだ

パトラ、さっそくだがAさんに一つ目の鍵の内容を説明してくれないか
詳しい話はその後だ」



パトラは持っていた布製のバッグから、一冊のノートを取り出した

「OK、じゃ、始めるわよ」




パトラは切れ長の目で時折Aをじっと見つめながら、ゆっくりした口調で話し始めた

言葉の端々に、普段は外語圏で暮らしている発音のニュアンスがあった



さきほどシャンタンから聞いた、この実践をリードする側の資質や能力の話、そしてこの行為に入っていくための男女の関係や心構えについて話が及んだ


パトラ「互いが心を開いてありのままの自分で100%リラックスできるかどうかがポイントよ」


シャンタン「いくら燃えるような恋をしている関係でも、こう見せたいとか、こう見られたくないとかを意識しているうちは、本当の親密さとは言えないからね」



いつも人の目を意識し、人の反応をうかがいながら生きてきたAには、とうてい不可能な話に聞こえた

A「だけど相手がいくら親しくても、人といて100%リラックスするのは難しいだろうね」


シャンタン「人といる時だけでなく、実は一人でいる時も本当にリラックスしている人は少ないものだよ
無意識に筋肉のいたる所を緊張させているのが普通さ

それが通常の状態なので、人はそれに気づかない

我々はいつも体中に『見えない社会』(他人の目や評価)を持ち運んでいるからね」


「・・・・・!!」



パトラ「それじや実践内容に入るわね
詳しく言うと何十種類もあるんだけど、その代表的なものから言うわよ」


Aは少し緊張した
若い女性がセックスについて淡々と語る様を見た事がなかったからだ



「まず最初にパートナーと向き合って座って、お互いの中の神聖な存在に敬意をはらいながら、特定のマントラを繰り返す
そうやってお互いの寺院を清め合うの」


「寺院?」


シャンタン「それは肉体のことだよ。肉体こそ神々が住む寺院だから」


「・・・・」


パトラ「交代で体を清めあったら、愛の行為に入っていくのだけれど、その時決して結果を求めてはいけないの」


「・・・?」


シャンタン「男性ならば射精のことさ。行為はピークに向かう手段ではなく、行為自体が目的なんだ

決して急がないこと
セックスに十分な愛がない時、それは早急になる
単に相手を瞬間的な快楽のための道具にしてはいけない」



パトラ「とにかく先のことを考えずに『いま・ここ』の感触に深く入っていくのよ
十分に深く感じ合えば時間は止まり、ますますお互いの存在の深みに入っていくことができる
肉体の出会いから精神の出会いに、そしてやがては魂の出会いね

私たちの存在は肉体と精神と魂の三位一体だから

全てが一つに溶けあった時、お互いの間を生命エネルギーが激しく流れるんだけど、
その時、細胞の一つひとつが活性化され、体が独自の振動に包まれ始めるの」



独自の振動・・・
Aには経験のないことだったが、パトラの話はまるで自分がそこに参加しているかのような気にさせた



「その時よ。相手からどう思われるかの恐れを捨てて、その振動に存在全体を委ねてしまうの

社会や文化から押し付けられたいっさいを外して身をまかせる
身体の動きも声も何もかも抑制してはいけない

そして体験と一つになるの

いつも自分を見張っている観察者が消えるのね
禅ではその境地を『三昧』と呼んでいる

その時、もはや自分と世界という2元性は消え去って大いなる一つだけが存在しているの
それが宇宙意識あるいは超意識と呼ばれるものよ」



パトラは一旦ノートを閉じて、Aをじっと見つめた


Aは乾ききったのどを潤すように、大きくため息をついた


「そうか『7つの鍵』とは、そこに行き着くための技法を、いろんな形で、いろんな段階で与えてくれているんだね」


シャンタン「そうだと思うよ
『鍵』は教義や道徳じゃない
一つ目の鍵は、性をタブー視する現代では理解が困難だけど、
これは個別意識と宇宙意識を合体させるためのテクニックの一つなんだ」


パトラ「その境地を経験した人の数が地上で一定数にまで達した時、
人類の集合意識に変革が起こり、それが次元昇華につながるってわけね」



A「それが・・・アセンション・・・」



『計画はしゅくしゅくと進行している

それは小宇宙と大宇宙の融合なり

それは個別意識と地球意識との合体なり』





立ち上がって再び窓を大きく開けた

またあの雑踏の音が部屋の中に飛び込んできた



あたりをすっかり包みこんだ夕闇の街を、あいかわらず人やバイクやトラックが忙しそうに行きかっている



なぜ自分はこの異国の地を突然訪れることになったのだろう

本当に俺はここに招待されたのか?

どこまでが自分の意思でどこからが運命なのだろうか





翌朝

Aの部屋の電話が鳴る

シャンタン「一時間後に下のロビーで会おう。出かける用意をして来て欲しい」


時計を見るとすでに8時半を回っていた


あれから志織達が買ってきてくれた箱詰めの焼ビーフンとチャーハンを平らげて、疲れたからと早々に部屋に戻り、シャワーを浴びてベッドにもぐりこんだのは、まだ9時そこそこだった


12時間近く熟睡したことになる

数日ぶりに頭の中がスッキリとした感じだ




一時間後ホテルロビー


皆はもう集まっている

いつものエスニック調のいでたちは、いかにもこの国にマッチしていた



志織「おはよう。昨夜はゆっくり眠れて?」

「うん、バタンキューだったよ」


シャンタン「さぁ、それじゃ行こうか」


「どこに行くの?」


シャンタン「あの方に会えるよ」


「あの方?」




リキシャの中

Aとシャンタン、そして志織と猪山が2台に別れて乗車している


オートバイに客車を取り付けただけの、なんとも素朴なタクシーだが、見た目より乗り心地は悪くない



目の前をインドの街並が流れていく

派手な色のサリーを身に着けた数名のインド女性が、激しい往来をぬうようにして道を横切った



サリーは東南アジアを経由して沖縄に伝わりミンサー織となり、さらにそこからヤマトに伝わって絣(かすり)の着物になったという


昔から遠く離れたこの地の文化が日本に伝わっていたかと思うと感慨深い




シャンタン「天河では聖天(しょうてん)さんにもお参りしたかい?」


「お参りというよりは枝社末社のひとつなので、お供え物などのお世話をしてましたよ」



「ボブはあの時、『龍宮の歌人と海を渡り聖天祭りで流星の主に会え』というもうひとつのメッセージを聞いていたんだけど、全国どこを探してもその時期に特別な聖天さんのお祭りが見当たらず、何のことかわからなかったんだ」



聖天さんといえば、あの時村のお爺さんが、『聖天さんが喜んでいるから何でも望みを叶えてくれる』と言っていたっけ

赤い巻物を人にあげてしまったことが残念で、聖天さんにお願い事をするのをすっかり忘れていた



「ずっとわからなかったんだが、喜納昌吉が今年、天河神社で奉納演奏した後に、インドのガネーシャ祭に参加してそこでコンサートをおこなうと聞いて、あれっと思った」


「・・・・?」


「昌吉は沖縄の歌者。琉球は龍宮の発音が変わったものと言われている」


そういえば浦島太郎伝説も、行き着いた先は琉球王国で、琉球は龍神信仰の国であり、琉球こそが龍宮だと聞いた事がある



天河も琉球も龍神信仰の地だ

何か深い縁があるのかもしれない


「そしてガネーシャとはインドを代表する神で、その姿は、頭部が象で首から下が人間というユニークなものなんだ。そしてそれは日本では聖天と呼ばれていたんだよ」


「!!」


「しかも今回の昌吉のコンサート会場の一つにダルマージのアシュラムがあると聞いて、体が震えた
天河神社立て替えの時の魂鎮めの儀で、90万年前に地球に飛来した隕石を贈ったのがダルマージその人だったから・・・・彼こそが流星の主だよ」


「ダルマージ?」


「インドの生けるマスターさ」


「そこで彼の秘書に連絡をとってみると、近々ダルマージから日本人にむけての重大なメッセージがあると言うんだ」





過ぎ行く町並みの一角にガネーシャ(聖天)を奉った色鮮やかな屋台が見える

配られるお菓子を目当てに、裸足の子供達が群がっている


リキシャはプーナ市の繁華街を抜け、静かな住宅地へと入っていった



「今日これから我々の目の前で『2つ目の鍵』が伝授されるよ」


「え?!」



「ダルマージ直々にね」


「ダルマージはもう後半年でこの世を去ると自ら宣言している
こんなチャンスはめったにないから、よくその姿を見ておいたらいいよ」


「しかも『3つ目の鍵』を手にするのは天河のサファール・アルチャンだと・・・
Aさん、彼は昨日あなたの事を話していたんだ」


「!!」




リキシャは立派な門の前で止まった

門に隣接した受付(守衛所のような所)の西洋人男性に、シャンタンがなにやら話しをしている

男性は興味深げにAのことを見た


そして脇の小さな潜り戸が開けられ4人は中に入った


球場ほどの広さの敷地には世界中の美しい植物が丁寧に植えられ、まるで植物園のようだ

木もれ日が澄んだ空気にキラキラと輝いている



手入れの行き届いたガーデンを奥まで進んでいくと、ひときわ大きなドーム状のテントに出る

中では何人もの西洋人がオレンジ色のローブを着て、寝そべったり、瞑想をしたりしてくつろいでいる


さらにその奥に続く小道を歩いていくと、まるで日本の茶室のような藁ぶきの質素な建物に出た



シャンタン「ここだよ」


入り口を開けると中は障子紙と竹とで内装された和風の洋室になっていた

西洋人男女が立つその奥に、毛糸の帽子をかぶり大きな白髭をたくわえた男性が椅子にゆったりと座っていた


インド人であろうその人は、真っ白なローブに身を包んでいる



窓から差し込む光に照らされてその人は光輝いて見えた



いや違う!その人自らが光輝いているのだ


身体の境界線がはっきりしない、光の体のように見えた



しばし呆然としてその存在に見入っていた

『何者だ!本当に人間なのか?』


彼はそんなこちらの気持ちを見通すかのように

「こちらにおいで」と手招きをした



近くに寄ると、ますますその存在感に圧倒された



彼は静かに微笑んで言った

とても聞き取りやすい英語で、その声は美しく透き通っていた

「待っていたよ」



そして茶色に変色しボロボロになった一冊の本を
「サラスバティー(弁財天)からの贈り物だ」
と言ってシャンタンに手渡した



そして手を合わせると軽く目を閉じて沈黙した


そこにいた全ての人達も自然にその場に座り目を閉じて手を合わせた


・・・・・・・・・・・


時間が止まった


・・・・・・・・・・・・


どこからともなく聞こえるダルマージの声
「サファール・アルチャン!」



まるで心に直接話しかけられたかのようだ


A「・・・・・?!」


「大いなる世紀が明ける時、あなたの本来の活動が始まるだろう」


「それまでに鍵のすべてを理解するがいい」



「行きなさい。650年の時空を超えて」


「・・・!!」






アシュラム内のテントドーム

4人が庭に面したフロアーに座っている



静寂があたりを包み込み、小さな声までもがドーム内に響き渡りそうな気配だ

自然と会話が小声になった



シャンタン「翻訳にはしばらく時間がかかるかもしれない」

志織「古代文字みたいだったわね」


まだ興奮さめやらぬA

「でもすごい存在感だった。あの人は何かの教祖?」



シャンタン「いや、彼はあらゆる宗教組織を否定しているんだ
人間にとって宗教性は大切だけど、宗教組織は時間の問題で必ず矛盾を抱え込むからってね
本当に悟った人で宗教を組織した人はいない
マスター達はあくまで個人として個人を導いていた」



確かにそうだ
キリストも釈迦も、彼らが死んだ後になってから教団が生まれたんだから

厳密に言えばキリストはユダヤ教徒で、釈迦はヒンズー教徒だったはずだが、
彼らはそれに背き、独自の道を歩んだがゆえに迫害された

宗教組織を否定したマスターが死んだ後に、彼らの名のもとに宗教組織が作られるというのは皮肉な話だ


ダルマージも同じレベルのマスターだとしたら・・・



「たしか・・・さっき、あと半年の命だとか言ったよね?」


「彼はそう予告している。
この30年間、ダルマージは彼をしたって集まってくる世界中の人達の為に毎朝必ず1時間、講話をしてくれていたんだよ
世界中の宗教や芸術を題材に、その底に流れる共通のエッセンスをわかりやすく解説してくれたんだ

そしてこの一年間は日本の禅のことばかり話し続けているよ
彼は禅をこよなく愛している」


「禅?このインドで日本の禅?」


そういえば先ほどの住まいといい、このアシュラムの雰囲気といい、見かけるのは西洋人が多いというのに、どこか禅や茶道の香りが漂っている



「禅は宗教を超えた人類の宝だと言っている
そしてその体系が現代まで純粋に守られているのは日本だけだと」


「・・・・・・・」



しばらくしてむこうからオレンジ色のローブを着たパトラが近づいてくる

どこか浮世離れしたムードに変わりはなかったが、昨夜ホテルで会ったときよりも大人に見えた

その存在は、この場の波動に100%マッチしていた


「中身がわかったわ
文章は古代サンスクリット語で書かれているの
しかも暗号らしく、解読にはかなりの時間がかかりそうよ

サンスクリット語で解読されたものを、文法の性格上いったんラテン語に翻訳し、さらにそれを英訳してから初めて日本語に翻訳することになると思う

おそらく作業にはそうとうの日数がかかるでしょうね」



シャンタン「まかせていいかい?
これは我々の目醒めに大切な知識のようだからね
めったな人達にまかせるわけにはいかないし・・・」



「わかっているわ
全てはダルマージから聞いているから
彼はこのメッセージは固定されたものではなく、受け取る側のレベルによって解釈が変わるだろうと言っているわよ」






翌日

ドーム状のテントが一大コンサートホールに変わる


会場を世界中から集まったダルマージの弟子達が埋め尽くしてしる

客席の後ろの台の上にビデオカメラをセットしたA




コンサートが幕を開けた


オープニングには、同行した昌吉の父、喜納昌永の異国情緒あふれる三線の音色がホールに響き渡った


目にもとまらぬ早弾きに会場は一瞬静まり返ったが、その後ウォー!!という大歓声に包まれた



続いて喜納昌吉とチャンプルーズの演奏


♪ じんじんじんじん・・・



その音は理屈ぬきで魂を直撃するような力があった


これだ!


神主装束のまま思わず舞台に飛び乗って踊り出したあの天河の夜がよみがえってきた



この感覚はなんだ?

わからない


でも言葉を超えた何かであることは間違いない



いつのまにか観客は総立ちとなり、会場は興奮のるつぼに包まれていた

さまざまな肌の色が一つになって身をよじらせエネルギーの柱を作り出している



日本のアーティストが音楽で世界を歓喜させている姿が誇らしく思えた




そして終盤

しっとりとしたナンバーが流れ、観客はやっとその場に腰をおろした



「すべての人の心に花を」 Lyrics by Shokichi Kina



『川は流れてどこどこ行くの』



『人も流れてどこどこ行くの』




人も流れてどこどこ行くの・・・・



そういえばこの歌には思い出があった


タレントをしていたころ、年々仕事が減っていき、心ばかりがあせり、まわりの友人達が次々とスター街道を昇っていく姿を見ながら、生まれて初めての挫折感を味わっていた

なんでもできると信じていた向こう見ずの若さで、夢を追い求めて上京し、がむしゃらに頑張った末の哀れな結末だった



ため息ばかりつきながら暮らしていたある日、街角から聞こえてきたこの歌に、何故か涙がこぼれて止まらなくなった



その後音楽プロデューサーに転進し、俳優の松平健のレコードを任されたとき、迷わず選曲したのがこの曲だった



そうか・・・この歌も喜納昌吉の歌だった



人も流れてどこどこ行くの・・・・




人も流れてどこどこ行くの・・・・






人はどこから来てどこに向かっているのだろう

苦しみ、悩み、そして死んでいく・・・その意味はどこにあるんだろう

いつもそんなことを考えていた



そしていま、その答えが少しわかり始めている

全ての存在が大いなるものによって生かされ、祝福されていたことを知れば、そこには至福だけが存在し、意味の追求そのものが消え失せてしまう


至福はそれだけで十分で、理由も意味も必要としないのだ




おそらく人は、その至福感に向かって流れているのだろう


それは人生に繰り返し訪れる、幸せや不幸せという二元性を超えたところの、絶対的境地

大いなるものと自分がひとつだという深い安心感だ



そして多くの人の意識がその状態にまで高まった時、この地球全体に変革が起こり、やがて物質次元を超えた高次元に地球そのものがシフトするのだという



それは意識の開花
存在の開花だ



『そんな流れが着くころには 花として花として咲かせてあげたい』



いつの日か全ての人々が悲しみや苦しみから解き放たれて、この地上に愛の花を咲かせる時が来るのだろうか





『泣きなさい 笑いなさい』


・・・・・・・・・・・・・・



『いつの日かいつの日か花を咲かそうよ』




『いつの日かいつの日か花を咲かそうよ』





インドの巻   完






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Posted by Blog Ranking at 09:36インドの巻