2007年07月16日

120万分の1の確率

この世には偶然は無い。

この言葉を最近よく耳にするようになりました。



僕らの運命はあらかじめ決まっているのでしょうか。

それとも自分の選択によって、どのようにでも創り出していけるのでしょうか。




僕達がものを考える時は論理的に考えようとするので、YesかNoか、右か左か、あるのかないのかといった具合になります。


ところが真理はその両方を含んでいて、だから言葉で表せないのです。



仏陀にこんな質問が頻繁に寄せられたといいます。

「神はいますか?」



すると仏陀は

「いる」
と答えたり

「いない」
と答えたり

「どちらとも言えない」
と答えたり

その答えはまちまちだったそうです。


質問者によって答えを変えていたようなのです。


それは質問者の偏った信念を中道にもどすことが目的だったからでしょう。




さて、僕らの運命があらかじめ決まっているかどうかの話ですが、ここに一つの証拠を示唆するような現実があります。



それはAが押し出されるようにしてインドに向かったときのこと。

物語でのこの部分の経緯は、すべて事実をもとに書いています。

本当に不思議な力に後押しされるような状態で、否応なくインド行きの飛行機に乗ることになったのです。



そして物語には登場しませんでしたが、その同じ飛行機に、同じように否応なく押し出されるようにして乗ることになった一人の女性がいました。



その人の名前はT子さん。


順風満帆な半生を送ってきた彼女。

仕事にも家族にも恵まれて、多くのひとから羨まれる生活をしていた彼女の心に、ある時期を境に、人生について真剣に考えてみたいという欲求が生まれました。


人はなんのために生まれ、何故死んでいくのか。

社会的にいくら成功しても、それが生きる意味を満たしてくれるわけではない。




そんなあるとき、オーストラリアに住む昔からの友人の女性が彼女の家に遊びに来ました。


その女性はラジニーシ(物語の中ではダルマージ・現在は和尚という名で知られている)の弟子になっていて、T子さんの話を聞いた彼女はラジニーシの講話集を読むように勧めました。




そんなことが縁で読み始めたラジニーシの本。

その美しい言葉達と、初めて触れる真理の世界に、T子さんはすっかり魅了されていきました。




T子さんはプロのシンガーでしたが、そんな彼女の音楽スタッフが喜納昌吉さんのスタッフも兼ねていて、こんど昌吉がインドに演奏旅行に行くことになりラジニーシのアシュラムにも立ち寄るから同行してはどうかという話を持ってきました。


最近のT子さんが時折思いつめたような表情を浮かべるようになったのを見て、彼女を心配してのことでした。




でも彼女は気が進みませんでした。


たしかにラジニーシの話には感銘を受けていたのですが、だからといって本人の元に行くまでのことではないと感じていたからです。




それに出発の日程はすぐ目の前に迫っていました。


パスポートもビザもなく、すぐにインドに行くことは物理的にも不可能なことでした。



そうしようと思っても、なかなか思うように事が運ばないことがあります。

かと思うと、自分の意思とは関係なく、一定の方向にぐいぐいと引き寄せられてしまうこともあります。


まさにこの時のT子さんがそれでした。



それほど気のりがしなかったインド行き。


それを周囲が執拗に勧めるのです。




それもこれも、周囲がT子さんの気持ちが晴れることを願ってのことでした。




しかし出発日は1週間後にせまっていました。


パスポートを申請するだけでも、もっと多くの時間がかかってしまいます。

しかもその後でインド行きのビザを申請するのですから、間に合うわけがありません。


普通なら間に合うわけがないのです。



少しホッとした気持ちのT子さんでした。




ところが奇跡が起きたのです。


たまたま知り合いのJALの搭乗員が遊びに来て、事情を知ると、強く頼んだわけでもないのにあれよあれよという間に、すべてをクリアしてしまいました。



もう断るわけにもいきません。



数日後、一緒に行くはずだったNHKの女性ディレクターは急遽行けなくなってしまいました。

文字通り、たった一人のインド旅行になってしまったのです。





当日不安な気持ちでインド行きカウンターに行くと、向うからヒッピーのような出で立ちの男がやってきました。




Aでした。



「あれがA君だよ」

空港まで同行してくれた音楽スタッフは彼女の耳元でそうささやきました。


Aのことはこのスタッフから何度となく話を聞いていました。



『僕達はひとつの同じものだ』とか『時間なんてなくていつも今ここだ』とか、へんな事を突然言い出したということ。

人と一緒にいても、いつもどこか遠くを見ているような男だということ。

そして最近、山奥の神社に住み込んでしまったということ。




近づいてくるAを見てT子さんは思いました。

「やっぱり噂どおり、ちょっと変わった感じの人だ」





僕は僕で出発直前になって、この仕事を依頼してきたスタッフからこう告げられました。

「実はね、T子さんが急に昌吉のツアーに参加することになったんだが、プーナまでの道のりをよろしく頼むよ」



物語の本編にも書いたように、僕自身も考えられないようなことが連続して起こり、押し出されるようにして行くことになったインド旅行でした。


頭の中はこれから起こるであろう不思議な冒険への期待で占められていたので、誰かを同行させることくらいお安い御用でした。



「いいですよ」

簡単に答えはしましたが、この同行が人生に劇的な変化をもたらすことになるとは、その時は夢にも思いませんでした。






出発カウンターにやってくると、むこうにスタッフとT子さんが見えました。



T子さんとは過去にちょっとした縁がありました。




僕がテレビ主題歌を制作する音楽プロデューサーに抜擢された時、自分に与えられた机の上に、誰が置いたか一本のデモテープがありました。

それには『T子アルバム候補曲』と書かれていました。


それはアマチュア作曲家が作ったものでしたが、T子さん本人が歌うのを辞退したということでお蔵入りになったものでした。


聞いてみると美しい旋律です。




僕は自分にその曲の担当をさせてもらえるように会社に頼みました。

プロデューサーになったばかりの僕でしたが、なにしろ会議でもボツになった曲だったので、その要望は簡単に聞き入れられました。




それが運良く、ドラマ「金曜日の妻達へ PartⅢ」の主題歌に決まり、社会現象を起こすような大ヒットになりました。



そのときのことがあったので、T子さんの存在はよく知っていたのです。



その曲名は「恋に落ちて」。


当時上映していた洋画の邦題をテレビドラマがサブタイトルに使用し、それをそのまま主題歌のタイトルにしたのです。

考えてみたらけっこう安易な作り方ではありました。


T子さんが歌わないというので、作曲した本人(小林明子)に歌ってもらい、それがヒットしました。


その曲が発売されて半年後、小林明子さんと二人でニューヨークにレコーディングに行った事がありました。

実はその時も、人生で起きることは全部決まっていると認めざるを得ないような出来事があったのですが、それはまたいつかお話します。




さて話は成田空港に戻ります。


最初にT子さんを見たときの印象は、ずいぶんと落ち着いた女性だなっていうことでした。

今までに出会ってきた人とは違う大人の雰囲気がありました。




飛行機への搭乗手続きをするときに、彼女のチケットも預かって2人分をカウンターに差し出しました。

「お二人様、お隣の席でいいですか」

こう質問された時、あなたなら

「はい、お願いします」

って答えますか?



でも僕の場合は、会ったばかりの異性に失礼のないように、別々のシートを頼むような妙にカッコウをつけたところがあります。

なれなれしく思われるのが嫌なのかもしれません。



ところがこのときは

「はい、お願いします」

とっさにそう言って、そんな自分が信じられず、同時にT子さんの反応が気になり、思わず振り向いてしまいました。


彼女は、何事もなく平然とした顔をしていたので少しホッとしました。




かなりの長旅です。

本当は僕も隣り合わせのほうが楽しかったのですから、この時は自分に正直に行動できたのかもしれません。




飛行機に乗り込んでからというもの、お互い何故この時期にプーナに向かうことになったかで話が弾みました。

さらには「恋に落ちて」の楽曲を僕が担当させてもらったことなどを話したように思います。


なにか親しみを感じて、当時は人見知りの激しかった僕が、ずいぶんとリラックスして話しをすることができました。




途中バンコクを経由して、インド西海岸のボンベイに到着したのは、成田を出て10時間くらいしてからではなかったでしょうか。

その間ずっと時間を忘れて話をしていたわけですから、気が合ったんでしょうね。




とはいうものの、それ以上接近することはお互いの人生では不可能なことだったし、もちろん期待もしませんでした。


ボンベイから飛行機を乗り換えてプーナに着いた所で、それぞれの現地での目的が違うので、そこでお別れするはずでした。




人の縁というのは、時と場所と、もうひとつハプニングという形で訪れるのかもしれません。


T子さんとの関係がさらに接近していくには、その先いくつものハプニングが必要でした。




ボンベイに着いたのは深夜でした。


その飛行機には僕達のほかにも、喜納昌吉さんのインド公演に同行する人たちや、ラジニーシに会うことを目的にした人たちが20名くらいでツアーを組んでいて、僕はその中の男性の一人とボンベイのホテルにチェックインしました。



T子さんも同じホテルに泊ることになり、ホテルのカウンターでチェックインを済ませて、

「それじゃ、おやすみなさい。明日はいよいよプーナですね」

とご挨拶して別れました。




T子さんは先に自分の部屋に向かいました。

僕も自分の部屋に入ったのですが、同部屋の男性が、一緒に飛行機に乗った人の中に沖縄の霊能者がいるから遊びにいこうと言い出しました。


行ってみると、そこには10名近くの人たちが集まっていて、ラジニーシの話や、霊界の不思議な話で盛り上がっていました。


するとそこにフロントから電話が入りました。

日本人の荷物が一つ置き忘れてあるから今から届けるというのです。


届いた荷物はその部屋に集まっていた人達の物ではありませんでした。


小さな名札がついていてT子さんの名前があったのです。



僕は彼女を知っていたので、部屋に届けることになりました。




この時点で2つの偶然がありました。


1つは彼女が荷物をフロントに置き忘れたこと。

フロントのスタッフが届けてきた部屋に、たまたま僕がいたことです。





ドアをノックしました。


彼女が小さくドアを開けて僕だとわかると「アラ?」と不思議そうな顔をしましたが、僕が置き忘れた荷物を届けに来たのだと知って、ニッコリと「ありがとう」と言いました。



そのまますぐに帰るつもりでした。

会ったばかりの女性の部屋に入り込むような無礼な人間ではありません。




その時、彼女の背後に大きな窓が見えて、外には満月のアラビア海が広がっていました。

彼女だけがオーシャンビューだったのです。


「うわ、驚いた!綺麗ですね」


「すごい景色よ。中からご覧になる?」


「はい、少し見せてください」




南国のヤシの木が一定の間隔に立ち並んでいて、広々とした浜辺が月明かりに照らされています。




アラビア海に満月、そしてまるで砂漠のような広い砂浜。




僕は言いました。


「これでラクダが歩いてきたら完璧ですよね」





そしたら・・・・!!!



本当にラクダが歩いてきたのです。



思わず言いました。

「ちょっと浜辺に出てみませんか」




人気のない夜のアラビア海の浜辺に、なぜラクダが歩いていたのか。

その謎はすぐに解けました。



観光客を乗せて歩くためのラクダが、夜は一定の区域を自由に歩き回っていたのです。




浜辺は満月に照らされて、とても幻想的でした。


それは知り合ったばかりの男女が恋に落ちるのには最高のムードだったのです。




T子さんと親密な関係になるために、事を計画したわけではありません。


それはとても自然な形で、そうなるように運ばれたとしか思えません。





手に入れようとしても、どうしても拒絶されてしまって、どんなに努力しても叶わないこともあります。

去年、とある新人歌手を発掘して大手レコード会社との契約まで話を進めたのですが、いつのまにか第三者がその権利を持っていってしまいました。

そのアーティストを売り出すための秘策があったので、ぜひとも自分がやりたかったのですが、どうやってもうまくいきませんでした。



今思えば、僕がやる仕事ではなかったのだと思います。



もしそれで成功していたら本来の活動ができなくなっていたでしょうし、もし成功しなければ、そこに使うエネルギーは膨大なものになっていたでしょう。

いずれにしてもあまり幸せな気持ちにはなれなかったと思います。





反対に何も画することなく進んでいく現実もあります。



やはり何か見えない大きな力によって、我々の人生が決められているのではないでしょうか。


T子さんとの月の浜辺は、その後、我々の人生がある程度決められている事を認めざるを得ない、そんな結果へと繋がっていったのでした。


・・・・・・・・・・・・・・



先日、母が沖縄に遊びに来て、そのとき一枚の家計図を持ってきました。


それは母の母方にあたる一族のもので、一番下には僕の名前も書かれていました。


その中に1人の女性の名前があります。

その人は「ナルミ」さんといい、新潟の由緒ある大店のお嬢さんですが、大正時代にこの一族に嫁いできたのです。


その「ナルミ」さんの子孫が、今のこの一族の中心になっているようです。





さて話はT子さんとのその後に移ります。


いつのまにかすっかり意気投合し、まるで最初から決められていたかのように二人は急接近しました。


そんなある日、何気なく僕は彼女に話しかけました。


「実はね、僕の親戚に面白い人達がいて、戦後になってからもずっと都内の一等地で牧場をやっていたんだよ。」

「あら、私の親戚もそうよ」



「そんなことないよ。都内には一つしかなかったって聞いているから」

「私もそう聞いている」



「おかしいな・・・○○牧場っていうんだけど・・・」

「あら、家と同じ名前」



「へえ、同じ名前の牧場があったんだ・・・!!!・・・もしかして同じ牧場?」


「え?同じ・・・なの?」


お互いの親にその旨を話したところ、なんとそれは同じものだった。


ということは・・・僕達親戚?




話は今から100年も前のことです。


僕の祖父は、東京にあった○○牧場の跡取り息子の家庭教師をしていたそうです。

その後、祖父は○○牧場の娘を嫁にもらうことになり、6人の子供をもうけます。

その長女が僕の母です。



その跡取り息子のもとに、新潟の有名な写真館のお嬢さんが嫁いでくることになりました。

当時写真館といえば、もっともハイカラな職業のひとつで、その中でも新潟県のY写真館は、その建物といい設備といい、目を見張るものがありました。



そのお嬢さんの婚礼ということで、それはそれは豪勢な花嫁道具だったと、いまでも語り継がれているそうです。


そしてその花嫁さんは・・・・なんとT子さんの祖父の妹です。




つい最近発売された雑誌にY写真館が特集されていて、そこに残る資料は歴史的に価値があるものが多いとのことでした。


そこに掲載されている写真の中で、何度も登場するのが明治時代その写真館の一人娘だったナルミさん(花嫁)です。

何かにつけて写真館のモデルになったようで、その家の溺愛ぶりが窺えます。


そんなに可愛がられたお嬢さんが、なぜ東京くんだりまで嫁いできたのか、その真相を知る人は、すでにいません。




でもひとつだけいえるのは、僕とT子さんが親戚同士だということです。




その確率はどれくらいでしょうか。

親族全員を仮に100人だとすると、その確率は120万分の1になります。




これは何を意味しているのでしょう。



もし僕たちの出会いが偶然ではなく最初から決められたものであるとしたら、この世の全ての出来事は決められていることになります。


<随(かんながら)神>の物語の冒頭にも書きましたが、この世は時間という縦糸と関係性という横糸が織りなすタペストリーなので、ひとつの部分が決められているためには、全体が決められている必要があるからです。


そうなると、あらゆる人のあらゆる出会いは必然ということになり、何か見えないご縁で結ばれているのだと思います。



たまたま僕とT子さんは「都内の牧場」というシンボルがあったので、その縁が判明しましたが、あたなとあなたの大切な人たちとも、今はわかっていないだけで凄い縁がある可能性があります。



「袖擦れ合うも他生の縁」

この諺(ことわざ)が、がぜん真実味を帯びて聞こえてきます。



だからこそ、すべての人との出会いを大切にしなければなりません。



今はまだ詳しくは話せませんが、僕の身にはこのような話がたくさんあるのです。

だから僕自身は、「全ては決められている」という考え方を信じています。



それを信じると、とても楽チンです。

「思し召すままに」の心境になって、じたばたしなくなるからです。



しかし同時に、人間には現実を作り出していく能力が与えられているというのも真実です。


この矛盾する2つの真実が溶け合うところに、真理が存在するのだと思います。



母が持ってきた家系図を見て思いました。

一番上に書かれている人が、もし病に倒れて早く亡くなっていたら、その下の人達全員がいないんだなって。


そこには書かれていないけれど、そのずっと前から先祖とのつながりがあるわけで、その中の一人の運命が違っていたら、全部が違ってくるわけで。


考えてみたら、僕達ってすごい確率で生きているんですよね。

しかもみんな超エリートです。



なぜかというと、僕たちの親の親の親の親・・・何人いるか知らないけれど、その人たちは全員、少なくとも子供を作れる年齢まで生きていたわけで、子供の頃に死んでしまった人は一人もいない。

多くの時代の中には、飢饉の時も戦争の時もあっただろうし、そんな中にあって生き延びた人たちばかり。

しかも不妊症の人もインポテンツも無精子症の人も一人もいなかった。



これって凄くないですか?



さらにはたまたまその日に男女が愛し合って、そのタイミングの性行為で放出された数億の精子から選ばれたのが、僕たちであり僕たちの先祖であり、そのうちの一人でも違う精子で生まれていたら、その後の全員がいないわけです。




僕らがここにこうして生きていることの不思議を考えると、ただただ奇跡としか言いようがないですね。







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