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Posted by TI-DA at

2007年12月31日

ごあいさつ

今年も終わりですね。



一年間、大変お世話になりました。





一年一年、何か大きな変化に向けて時代そのものが動いているような気がします。



その予感は子供のころから持っていましたが、いよいよその時がという覚悟のようなものを持ち始めました。



それは単なる思いすごしなのかもしれず、いつの日かこのような記述を読んで笑う日がくるのか、それとも何故このことを予感していたのか感心する日が来るのか、それは今のところわかりません。





来年もいい年でありますように、皆様のご健勝をお祈りしています。
  


Posted by Blog Ranking at 08:54

2007年12月28日

一周年記念

まことに私事ではありますが、じつはこのブログ、今日で満一歳のお誕生日を迎えました。


数か月のつもりで始めたのですが、やめてしまうのも寂しいし、こうやって開設したまま、ランキングサイトにも登録させてもらうことで、日々新しい人が訪れこの物語に触れてくださり、なんとか一年間やってこれました。


これもみなさんのおかげです。


かんながらの物語はひとりのAという男の話ですが、実際にはこれを読んでくれているあなたの人生そのものが<かんながら>なのです。


すべては大いなる流れの中で起きています。

すべては神の戯れです。


それをインドの人たちは「リーラ」と呼んできました。



これからもリーラの中で、お互い楽しい舞を続けていきましょう。




Happy Birthday <随(かんながら)神>






いつもありがとうございます。






  


Posted by Blog Ranking at 09:14

2007年12月27日

キリスト像

キリストってどんな顔していたんでしょう。

そんなことを考えたことはありませんか。



僕らがキリストと言って思い描くのは、ウェーブのかかった長い金髪の、少し愁いを帯びた表情の西洋男性です。


実際に見たわけではないのに、ほとんどの人がそんな像を思い描くのではないでしょうか。



その根拠となっていりるのは、キリストの肖像画です。

画家が実際にキリストに会って目の前で描いた絵ではなく、あくまでもイメージ画です。

死後何百年も経ってから描かれだしました。


僕はかなり怪しいと思っています。


当時のユダヤ人がどのような人種であったか、今のイスラエルの人と同じような風貌だったのか、それさえもわかりません。

当時のユダヤ民族は、かぎりなく東洋人に近かったという説さえもあります。



そしてあの表情です。

笑っているキリストの顔は、少なくとも昔のキリスト絵画には出てきません。


あれはギリシャ哲学に影響された、西洋人マインドの表れではないでしょうか。


僕の想像では、キリストはとっても愉快な明るい青年だったのではないかと思います。

しかも限りなく優しく温かい心の持ち主だった。


だから、たくさんの人が彼の話を聞きに集まったのだと思います。

深刻で気難しい人の話を、誰が好き好んで聞きたがるでしょう。



東洋人の顔で、温かく、愉快な表情・・・


もしかしたら明石家さんまさんみたいな人だったかもしれません。


あんまり極端な例を出すと、敬虔なクリスチャンの方には叱られそうですが、そんな想像もまた楽しいものですね。





これからも応援よろしくお願いします。






  


Posted by Blog Ranking at 10:57

2007年12月26日

トマス伝

イエス言う

「祈れば
あなたは自分に罪を犯す
施しをすれば
あなたは自分の精霊に邪悪をなす」


これが公認版の聖書には入れられなかったトマス伝の一部です。

ちょっと見ただけだと、何が何だかわからないし、
まるでキリストが反宗教的で、祈りや施しを否定しているみたいに見えます。


キリストが反宗教的?

そんなわけがないですよね。

彼はこの世に出現した、まれに見る天才的宗教者だったのですから。


それじゃ、この意味は何でしょう。




彼は祈りや施しに反対しているわけじゃありません。

この言葉のポイントは「あなた」という部分にあります。


「あなた」・・・それは僕たちの「自意識」「自我」「エゴ」に語っています。



祈りとは無条件の愛や無条件の感謝に包まれたときに、自ずと現われてくる高い質ですが、
僕たちはふだん、そんな心境で生きているわけじゃありません。


自我はいつも打算的なので、祈りや施しさえも、
見えない何らかの見返りを求めていることがほとんどです。


「彼(彼女)とうまくいきますように」

「宝くじが当たりますように」

これは物乞いであって、祈りじゃありません。



今日は募金をしてあげた

いいことをしたから、何かいいことがあるかもしれない。





彼は本当の祈り、本当の施しについて弟子たちに語っています。

そこには人間に対する深い理解と、慈愛が感じられます。



彼のような人が真実を語る時、その言葉だけを表面的に読めば、
矛盾したり誤解をしたりすることも多かったと思います。


真実はいつもパラドックス(逆説的)であり、文脈によっては矛盾を含むものだからです。




言葉というのは危険なものですね。

その時、その場で発せられた言葉には、その時、その場でしか意味を持たないものもあるはずです。




だから聖書に書いてあるからと言って、お経に書かれているからと言って、
なんでもかんでも表面的な意味を鵜呑みにしてしまうのは、愚かな態度だと思います。






これからも応援よろしくお願いします。






  


Posted by Blog Ranking at 10:00

2007年12月24日

2番目の鍵

かんながらの物語の中で、2番目の鍵として登場するのが<トマス伝>の一説です。

その解説は「南朝の巻」に登場します。




キリストの弟子は、学問を積んだ者たちではなく、漁夫や農夫といった素朴な人たちでしたが、その中にあってトマスとユダは、比較的インテリだったと言われています。



さて、聖書に出てくるキリストについての記述は、マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝に記されています。

でもちょっと不思議なことがあります。

というのも、細部にわたって、言い回しまで含めて、4人とも同じような記述をしていることです。


同じキリストの直接の弟子として、同じ話を聴いたのだから、内容が同じになるのはあたりまえと思うかもしれませんが、はたしてそうでしょうか。


人間は相手の話を、自分の観念を通して聞きたいように聞きます。

一人の人が話した言葉でも、感想文を書いてもらえば、人によって微妙に解釈が違うのが普通です。

その訳は人それぞれに、自らの観念のワクを通して言葉を理解するからです。


だから話した内容と、聞いた内容が違うこともよくあることです。

「確かに言った」「「聞いてない」の衝突も、そんな中から生まれることもあります。


それなのに4人の使徒たちの福音書が、奇妙なほどに一致しているということは、それを客観的に編集した者の意図が働いたと考えるのが妥当だと思うのです。


それは聖書を編集した人、キリスト教創設に関わった人でしょう。

そのときに、彼らの意図とは違うキリストの言葉は排除されたとする説がありました。


それを裏付けたのが、1945年にエジプトで発見されたトマス伝です。

残念ながら、発見から60年がたった今でも、隠され黙殺されたままでいます。

しかしその文章からは、聖書の内容に劣ることのない宝のような真実がいたるところに見て取れます。


次の機会にその一文と解説をご紹介しましょう。







これからも応援よろしくお願いします。





  


Posted by Blog Ranking at 13:16

2007年12月23日

かんながらの物語 2

そうやって書き上げた<かんながら>でしたが、漫画にするという計画も頓挫し、どのように人に読んでもらうのか、方法がなくなってしまいました。


そこで、数百ページにおよぶ原稿をプリントアウトし、それを束ねて即席の本を10部作りました。




そして当時、ご縁があった人10名に贈呈しました。


するとその中の1人(大阪の開業医さん)が、これは多くの人に読んでもらうべきと言って下さり、印刷屋さんに発注し、立派な表紙までつけてくれたものを数百冊作ってくれました。


その時点での物語りは、「7つの鍵の巻」の弁財天による鍵の解説で終っていました。




そして一年後の2000年12月に、向和尚と開催していた禅スクールのHPを立ち上げました。

<かんながら>を読んでもらう、新しい媒体としてもHPはふさわしいと思ったからです。




HPの計画だけは、その5年も前からあったのですが、お互いに、お互いがやってくれることを期待し、なかなか実現しませんでした。

さすが本職の禅僧は、待つことにかけても僕より上手で、結局しびれを切らした僕が手作りで立ち上げたというわけです。



その直後、沖縄の放送局が僕を探し始めました。

音楽業界の誰に聞いても僕の行方がわかりません。


それを、フォークグループの「ふきのとう」の細坪さんが、自らのHPで僕の消息を探してくれるように呼びかけたところ、それを見た人が「奥山ZENスクール」という、立ち上げたばかりのHPに僕を発見してくれました。


もしHPの立ち上げが、もう少し遅れていたら、僕は今でも方広寺を舞台に心の研修会をやっていたと思います。



もし沖縄の放送局が・・・もし細坪さんが・・・もしHPが・・・


やはり人生には「もし・・・」はないのでしょうか。




沖縄に暮らすようになって、その後もHPに<かんながら>を掲載していましたが、ブログになってからは、本当にたくさんの人に読んでもらうことができています。


ありがとうございます。



現在、第二部を構想中です。



これからもよろしくお願いします。








  


Posted by Blog Ranking at 12:25

2007年12月22日

かんながら物語について

1999年の暮れに、約3週間くらいかけて、一気に書き上げたのがこの<かんながら>の物語です。


朝から晩までパソコンの前に座り、まるで何かに憑りつかれたかのように(家族の言葉です)書き続けていたようです。

いまはこうして毎日ブログを書いていますが、もともと文章を書くのは苦手で、そのときが文章らしい文章を書いた初めての経験でした。


今読み直してみれば、各所に稚拙さが見て取れますが、初めてにしては上出来だったようにも思います。



最後の「7つの鍵の巻」は、大晦日の夜に数時間で一気に書き上げてしまい、しかも一度も書き直しをしなかったのですから、やはり何かの力が書かせてくれたとしか思えません。


その章を書きたかったから、そこまでのストーリーを書いてきたのかもしれません。



僕たちは「ひとつ」のものである。

みんなひとつに繋がっている。


この感覚を多くの人が持ったとき、お互いを自分のことのように慈しみあい、足りないものを補い合い、共に幸せを分かち合えるような世の中が実現すると考えています。

まずは我々自身がその真実を生き、やがては日本全体へ、そして世界全体にむけてそのような理解が浸透していきますよう、願ってやみません。


歴史上、多くの革命が起きてきました。

が、暴力革命は暴力を生むだけで、結果的に理想のユートピアは訪れていません。


突出した英雄が集団を指導する時代は終っています。


21世紀の革命は、個人の革命です。


個の変革の輪が広がること、それが地上を根底から変える、大いなる革命に繋がっていくのだと思います。


<かんながら>は、そのことを伝えるための物語だと思っています。






これからも応援よろしくお願いします。






  


Posted by Blog Ranking at 14:08

2007年12月21日

不思議な衝動

「天河の巻」で喜納昌吉さんが出てくるシーンがあります。


お祭りは1週間続いたのですが、たしか2日目に喜納昌吉とチャンプルーズのみなさんが出演したんだと思います。

もしその出演が最終日だったら、僕は全部のお祭りに神官として参加したのですが、あのようなことがあったせいで、実質2日しか出られませんでした。



あのような出来事・・・・


物語の中で、僕が神主の装束のまま舞台に駆け上がって踊りだしたというエピソードはすべて事実です。


でも僕はいつも踊るような人間じゃないんです。

ディスコブームの頃は毎日のように六本木に出没しましたが、人様のコンサートで踊りだすほど、踊りが好きなわけじゃありません。


あの時は、腹のそこから湧き上がってくる、何ともいえない衝動に駆られてのことです。


今考えて見ますと、その勇気は大変なものだったと思います。

結果はオーライでしたが、僕ごときが240年ぶりの大祭をぶち壊してしまう可能性があったからです。




でも・・・もしあの時踊らなければ、その後の僕の人生も大きく変わっていた可能性があります。


人生とは、まったくもって不思議なものです。





これからも応援よろしくお願いします。





  


Posted by Blog Ranking at 09:47

2007年12月20日

天河神社

かんながらの物語を書いたのは1999年の暮れで、エピローグは2001年に入ってから書き上げました。


書こうと思った目的は、当時お付き合いをしていた漫画家へのシナリオ提供です。

漫画のような気楽に読める媒体を通して、自分の気づきを人に伝えたいと思いました。


ただ、あまりにも長く、内容も濃かったために、漫画化は実現しませんでした。


それが今こうしてブログという、当時は考えもしなかった媒体で、多くの人に読んでもらうことができています。

たいへんありがたいことです。




この物語に興味を持ってくれた結果、「天河神社」に行ってきましたと報告してくれる人が増えています。

もう何人もの人から、そんなメールを頂きました。


沖縄からもずいぶんたくさんの人が訪ねてくれて、沖縄と天河のご縁を繋げさせてもらったように思います。



実は僕自身は、天河にしばらく行っていません。

平成4年の6月に、前年に生まれたばかりの息子と妻を連れて訪れた時は、たまたま初節句のお祭りの日で、神前に子供を紹介することができました。


その後、平成6年と8年に行ったきり、もう10年もご無沙汰しています。



宮司さんとも最近は電話でお話しただけで、しばらくお会いしていません。



こうしてブログを書かせてもらっているおかげで、その波動だけはいつも感じさせてもらっていますが、近い将来、また行ってみたくなりました。



どうぞみなさんも、一度訪ねてみてください。

気持ちが澄んでくる不思議な場所ですよ。





これからもさまざまな情報をお伝えしていきます。

応援よろしくお願いします。







  


Posted by Blog Ranking at 12:19

2007年12月18日

時間と自我

3次元と4次元の一番の違いは、「時間」というものに支配されているか、「時間」を超えているかだと思います。


分かり易く言えば、4次元において「時間」という概念が消えるわけです。


今、概念と書きましたが、まさに時間とは概念以外の何ものでもありません。

時間は実体ではないのです。


本当は存在していないのに、存在しているように見えてしまうのが3次元の世界です、



「時間」のほかにも、やはり非在でありながら、実在のような錯覚をもたらしているものがあります。

それは「自我」「自意識」です。


じつはこれが「時間」のもうひとつの顔なのです。


「時間」と「自我」は同じものを違う角度から見ているだけで、実はどちらも存在していません。


したがって、一方が消えれば、もう片方も消え去る運命にあります。



「時間」という概念から自由になれば、その時「自我」も消えています。


反対に、「自我」を落とした時、そこにあるのはいつも「いまここ」で、「時間」は消えています。


この両者は同じものなのです。



ということは、アセンションとは時間が消えることだと言うので、同時にそれは、自我が消えることであり、悟るということです。






時間も自我も超えてポチッ




  


Posted by Blog Ranking at 08:18

2007年12月17日

「地球」という幻想

で、何が言いたいのかと言いますと、アセンションの考え方には、ひとつ重大な落とし穴があると思います。


アセンションが、地球規模で起こると言われていることです。


それは間違いではないのですが、僕たちにとって落とし穴になる可能性があります。



「地球」と言われてしまうと、僕らはそれぞれにイメージを持ちます。

地球が次元上昇するのだから、自分もそれに乗り遅れないようにしようとかね。



でもそれは逆で、自分が次元上昇するから、地球が次元上昇するのです。


僕たちは、「地球」だとか「世界」だとかいう言葉をよく使いますが、実際にはそれを知らないのです。

それは頭の中で作り出したものであって、リアルなものじゃありません。



リアルなのは、自分が存在しているという感覚だけです。

したがって、地球のことは地球に任せておいて、自分は自分のアセンションだけを考えていればいいということです。



自分が悟れば、世界全体が悟ります。




宮沢賢治の有名な言葉

「世界全体が幸せにならなければ、個人の幸せはない」

というのは、反対から見れば

「自分が幸せになれば、世界全体が幸せになる」

ということです。




時間という幻想を超えて、空間という幻想を超えて、はるかなる超意識にたどり着く旅は、すでに始まっています。


それは自分自身の中で起こる、根源的な変容なのです。






このメッセージが多くの人に届きますように。

今日もよろしくお願いします。




  


Posted by Blog Ranking at 11:09

2007年12月16日

一滴の海水

アセンションについての基本をおさえるために、数日前に書いた「私=地球」「私=宇宙」という概念は役に立つと思います。

量や大きさは圧倒的に違いますが、質においてはイコールが成立するのです。

それってどういうことでしょう。



例えるとしたら、それは一滴の海水と大洋の関係によく似ています。

僕ら一人ひとりを一滴の海水のようなものだと思ってみてください。

そして大海原は宇宙全体です。


僕らは海全体(宇宙)を眺めながら、そのあまりの大きさの違いに、海全体は自分からかけ離れた存在のように思ってしまいます。


でもよく考えてみてください。



一滴の海水(自分)の中には、海全体(宇宙)の水の成分が全部含まれています。

基本はH2Oですし、そこに含まれる塩分の配分量も、鉄分も何もかも同じです。


したがって一滴の海水(自分)を理解すれば、海全体(宇宙)を理解したことになるのです。


自分の存在を理解できれば、宇宙を知る事になります。



「汝自身を知れ」

この有名な言葉は、ことの全体を理解した人が発した言葉です。



さて、ここまで理解できたとしたら、今回お伝えしたかったアセンションの基本も理解できると思います。

それは心のどこかでわかっていることなのですが、つい忘れてしまう何かです。



「自分=地球」という言葉を、ゆっくり深く理解するようにしておいてください。




また明日お話します。



今日も来てくれてありがとうございます。





このメッセージが多くの人に届きますように。

今日もよろしくお願いします。






  


Posted by Blog Ranking at 12:18

2007年12月15日

不可視なる生命体

アセンションは物質次元である3次元から、霊的次元の4次元に移行することだと言われています。

では、アセンションの後、僕たちの身体は消えてなくなるのでしょうか。



それには諸説ありますが、僕の直感ではこのように思います。

意識のセンターは心身から魂に移りますが、3次元の可視なる世界はそのまま存在し、我々はそれを今以上に高度な意識によって使いこなしていくのではないかと。


さらに上の次元に移行するとき、我々は透明で不可視なる存在になるのかもしれません。

まずは、そこに行くための中間層のような状態に入るのではないでしょうか。



かんながら物語の「天河の巻」の中には、古文書からの抜粋として次のような記述が出てきます。

「すでに他の太陽系惑星の準備は完了し、後は地球を残すのみ」


他の太陽系惑星にも生物は存在していて、しかし彼らの生命波動は我々よりはるかに高いので、我々からは見る事ができないというわけです。


我々は炭素を基礎構造に持つ凝固した有機体ですが、彼らの身体を組織する分子の振動数は我々のそれよりもずっと高いので不可視な存在になっているというのです。



我々もそこに向かっているのでしょうか。


こういう話は面白いから好きです。







このメッセージが多くの人に届きますように。

今日もよろしくお願いします。






  


Posted by Blog Ranking at 12:28

2007年12月14日

執着と苦悩

アセンションが起きるとき、その波に乗れる人と乗れない人がいるという話を聞いたことがありませんか。


それを聞くと、自分は乗れるだろうか、自分は選ばれないんじゃないだろうかって心配になったりしますよね。



でも実際には、乗れる人と乗れない人がいるのではなく、乗る人と乗らない人がいるのです。

誰かが選ぶのではなく、自分が選ぶのです。



アセンションは「自己」や「自己の所有物」といった自分本位の世界から、「私たち」「地球家族」といった、全体意識への移行でもあるので、あまりにも強く自分の世界に執着している人は、アセンションの波に乗るよりは、自分の世界を手放さないほうを選ぶのです。



僕は、多くの人が乗ることを選ぶと思います。


なぜなら、それが地球規模の流れであり、その流れに逆らうと苦悩の世界に暮らすことになるからです。

いずれ苦しくなって、新しい生き方や考え方を選ぶ時がくるでしょう。


そのような観点から見ますと、執着が強い人というのは、我慢強い人でもあるわけです。




下に落ちるのがイヤで、ロープを握りしめていた人が、あまりにも手が痛くなって、恐る恐るロープを放してみたら、最初から足が地面に付いていたという、笑うに笑えない現実を多くの人が経験することでしょう。



手放したとき救われるのです。





このメッセージが多くの人に届きますように。

今日もよろしくお願いします。






  


Posted by Blog Ranking at 09:00

2007年12月13日

アセンションの流れ

アセンションの流れはすでに始まっています。


この10年余り、すごいスピードで世の中が変化していますが、多くの人はその変化の波にうまく乗っているように見えます。

急激な変化が訪れても、その瞬間は驚いたり戸惑ったりするのですが、世の中がそれを受け入れて動いていると、自分もいつのまにかその変化に同調していたりします。


その変化は、物理面と心理面の両方に訪れていると思います。


たとえば物理面では、携帯電話やネット社会がその代表でしょう。


いま、あたりまえのように僕の考えをこうして読んでくれていますが、これとて以前には考えられなかったことです。


そのほかにも、多くの権威の失墜や、雇用形態の変化など、大きな変化がたくさんあります。


その物理的な変化が、心理的な変化を促しているのかもしれません。


人生観が変わり、生き方が変わってきました。


それは商売のやり方にも現われていると思います。

以前は、自分たちの利益追求が発想の原点にあり、いかに稼ぐか、いかに大衆心理をコントロールするかが、すぐれたビジネスのように思われていました。


ところが今はどうでしょう。


極めて多くの会社が、その理念に「顧客満足」を掲げています。

人様に喜んでもらうという発想が、ビジネスの中核になければ、どんなビジネスもうまくいかなくなってきているのです。



それは個人のレベルでも同じことです。

自分だけが幸せになるという発想では、幸せが掴みにくくなっています。

人に幸せを与えたい、人と幸せを分かち合いたいという気持ちが、結局は自分を幸せにするということに気づく人が増えているのです。






つづく





このメッセージが多くの人に届きますように。

今日もよろしくお願いします。






  


Posted by Blog Ranking at 10:56

2007年12月12日

時間を超える

本当に時間がたつのが早いですね。

これはどうやら歳のせいだけでなく、実際に何もかもが速くなっているようです。



昔なら100年くらいかかって変化したことが、いまは一ヶ月くらいで変わってしまうくらいに、新しい発見や発明、そして人の心の変化もすごいスピードで起きています。


最近の24時間は、昔の14時間くらいしかないって、誰かが言っていました。


これが来年、再来年にはもっと短くなって、5年後の冬至の日(2012年12月22日)には、ゼロポイントに達するというのが、今話題のアセンションです。


時間のゼロポイントとは時間を超えるということで、時間に制約された3次元からの昇華を意味します。


もしそうなったとして、その流れに乗ることができたら、そこに待っているのは素晴らしい世界だと確信しています。


まさにジョンレノンのイマジンの世界が、実現していることでしょう。



この先も僕なりに、それがどういうことなのかを書いていきたいと思います。




「かんながら」の物語は、まさにそんな時代の到来を予告したものですが、まだお読みになっていない人は、ぜひ読んでみてください。


このめまぐるしい時代の変化の中で、わずかでも人生のお役に立てたら幸いです。






このメッセージが多くの人に届くことを願ってランキングに参加しています。

今日もよろしくお願いします。








  


Posted by Blog Ranking at 11:01

2007年12月11日

私=地球

さて昨日の「地球は生命体」ということについてですが、この言葉が何を意味しているかというと、地上に多くの生物を育んでいるから、母体となっている地球も生命のようなものだというのではありません。


僕が言っているのは、文字通り「地球は生命体」ということです。

地球がそのまま生き物だということです。

もちろん知性もあります。

その知性は、人間のそれの100億倍(もちろん喩えです)あり、その本質は愛です。


宇宙サイズの惑星から、緻密なミクロの世界まで、本質はひとつしかなくて、それは「愛」と呼ぶのが一番近いと思います。


ただ、「愛」という言葉も、人の理解に応じて様々な意味を持つので、これとて最高の呼び名とは言えませんが、それでも「愛」としか名づけようのないものだと思います。

その本質があらゆるものを作り出しているので、僕らが自分の本質を発見すれば、それは地球の本質を発見したことになります。


本質は形をもたず、大きさもありません。

本質の特性は「量」や「大きさ」ではなく「質」なのです。

だから本質です。


したがって

「私」=「地球」


という式が成立します。


僕たちは大きさや規模に惑わされるので、この式が不自然に見えますが、質においては成り立つのです。


「私」=「地球」





このことを体全体で理解することが、アセンションです。






多くの人の目に留りますように、ご協力よろしくお願いします。





  


Posted by Blog Ranking at 12:03

2007年12月10日

感覚の共有

今朝は早くに猫に起こされてしまい、ネットでいろんなブログをあれこれ見て回っていたら、ある人のブログに行きつきました。

とても合理的な考えの人で、バランス感覚もなかなかのものでした。



その人がある日の日記で、精神世界のことに触れていました。

その人の立場は、ほぼ全面否定です。



まず僕たち(勝手にこれを読んでいる人を仲間扱いしていますが)が前提としている、地球は生命体だと言う考えに、真っ向から異議を唱えいます。



地球は単なる物質の塊りだと断定しています。


それを生命体などと平然と言ってのける人達が信用できないとのことでした。




でも僕ら(またあなたを引き込んでいます)が、地球を生命体と言うのは、考えた結果ではなく、そう感じて確信したからです。


でもその確信を人とわかちあうことはできません。


内なる体験は個人的なものなので、そう感じない人からは、ただのパラノイヤ症候群の戯言に聞こえるかもしれません。




でもこうやってブログをやっていると、同じような多くの仲間と出会います。


それは言葉では伝えきれない何かを共有している仲間達です。




昔は、そういう人を探すのがどれだけ大変だったか。


というのも、周囲の大半が先にあげたような考えの人たちだったからです。





なんて凄い時代に生きているんだろうと、あらためて感じる今日この頃です。





これからもよろしくお願いします






こちらも面白いですよ

  


Posted by Blog Ranking at 10:32

2007年12月07日

殺生

僕たちの生き方にとって大切なことのひとつに、自分が何をやっているのかを自覚し、その行為に責任を取るということがあります。


そのことに誰も異議はないと思います。




でもそれができているかと言えば、そうでないことがたくさんあります。



たとえば肉食です。

その行為にどれほどの自覚があるでしょうか。


油で揚げた鶏の屍骸や、鉄板で焼かれた牛や豚の肉片を食していることへの自覚です。


彼らがどのように育てられ、どのような方法で殺されているのか、どれくらい知っているのでしょう。



豚や牛も、犬や猫と同じように、人間になつき、愛らしく、感情と知性を持った生き物です。




肉を食べるというのなら、その屠殺現場を見るのが、最低限の責任ではないかと思うのです。

小学校の課外授業や、地域の生涯学習などで、そのことを義務付けるべきではないでしょうか。



それを見た後でも、自分は食べると言うのであれば仕方ありません。


でも、単に無知の結果、無意識に肉食を続けているのであれば、それは問題だと思います。




人間が平気で動物を殺しているうちは、世界平和など夢のまた夢だと思うからです。








共感してくれたら押してください。





  


Posted by Blog Ranking at 12:56

2007年12月06日

動物と人間

その写真の頃、僕は16歳になっていて、遠方の高校の寮に入っていたので、その猫とはたまにしか会いませんでしたが、思い出してみたら、たしかにそんな猫がいました。



あまりにも荒唐無稽な話ですが、もし同じ猫が会いに来てくれたのだとしたら、最初に拾ったときから6年が過ぎていたことになります。


下馬の家で4匹の猫が生まれたのは、さらにそれから10年後のことです。




この世で起きることは不思議なことが多くて、この猫のこともそうで、単なる偶然としては片付けられない、何かしらの実感があるのです。




「人生で、出会うべき人には必ず出会う」

という言葉がありますが、それは人だけでなく、動物もそうなのではないかと思うのです。



その時々に、愛する喜びを与えてくれたり、孤独を癒してくれたり、何かしらの気づきをもたらしてくれたり、彼らは僕たち人間に多くのものを与えてくれていると思います。



少なくとも僕たち家族は、この猫から多くのものを受け取り、多くの癒しを与えられました。


僕らの魂を救うために、あの世から使わされたようにさえ思ってしまうのです。






話は少し変わりますが、先日ニュースで面白い実験結果を目にしました。



それはチンパンジーの子供の実験です。



彼らに数字を覚えてもらいます。


1から9まで、それは簡単に覚えてしまうようです。


次に、その数字を不規則に配置して、数の小さい順番に一つ一つ指で指してもらいます

次に、その数字をほんの一瞬だけ見せてすぐに消し、どこに何の数字があったのか、また小さい順に、その場所を指してもらいます。



するとなんと0.7秒しか見なかったその数字の位置を、正確に1から9まで指していくのです。

人間の大人にもできないことです。



これは何を意味しているのかというと、人間が一番頭がいいという常識説を、見事に覆しているわけです。



おそらく猫も犬も、多くの生き物達は、人間より頭がいい側面をどこかに兼ね備えているのだと思います。





だから肉食に反対なのです。







ランキングに参加しています。

ご協力よろしくお願いします。





  


Posted by Blog Ranking at 10:54