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Posted by TI-DA at

2008年02月29日

シンクロニシティ

物語の中に、東京に戻ったAのもとに、身に覚えのない多額の印税と、一本の仕事が入っていたエピソードがあるのは本当の話です。


まずは、JASRACから届いていた支払い通知です。


それは昔書いた歌を、当時のアイドルの芳本美代子さんが唄ったレコードの初回プレス分の印税でしたが、その額は当時の僕の半年間の生活費に匹敵するものでした。


まるで買わなかった宝くじが当たったようなもので、そんな思いがけずに嬉しい経験は、その時が最初で最後です。




金銭的な問題が消えた時、天河で出会った喜納昌吉さんやジャハンたちと一緒にインドツアーにでかけようかとも思いました。

そのインドツアーは、バグワンのアシュラムでのコンサートがメインで、憧れのバグワンにも会えるし、ことによったらサニヤシンになる道も開けるかもしれません。




でもすぐに気持ちは変わりました。


何も無理してインドまで行く必要もなく、バグワンの弟子になったからといっても、そんなことは単なる形式であって、真理は誰にも所属せず、同時に誰もに所属しているのだから。


そんなことより、急に4ヶ月間も東京を離れてしまった後始末をするのが先決と思いました。




そこで、留守電にたったひとつ入っていた、仕事を依頼してくれた音楽事務所に出かけて行きました。



その時は、その仕事が何なのかも知らなかったのですが、内容を聞いた時は、あまりの驚きに一瞬身体が硬直しました。





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Posted by Blog Ranking at 09:05

2008年02月28日

おぼしめすまま

さて、そのジャハンとアートマラマという2人の男性から、40日後に昌吉のインドツアーがあるのだけど、一緒に行かないか誘われます。

昌吉さんからも声をかけてもらうのですが、その時の僕には非現実的な話でした。


この4ヶ月間の神社へのご奉公は無報酬であり、まったく後先を考えずに飛びこんだ天河生活でしたので、インドへ行くどころか、東京に帰ってからの仕事も生活も、どうしたらいいものか途方に暮れる状態でした。



でも心の底では、人生は神との共同作業で作り出しているという確信があったので、もし何かの仕事にありつけばそれでよし、なければないでそれもよしという心境でした。


もしこのまま、人からも運からも見放されて、どこかで野垂れ死にするようなことがあったとしても、それも天の計らいであり、そこにはきっと自分に必要な要素がたくさん含まれているので、甘んじてそれを受けようと思っていました。




その気持ちは今もまったく変わっていません。

おぼしめすまま・・・流れのままに・・・かんながら・・・・




天河に来る前に徹底的に感じた宇宙意識。

この世には「自分」など存在せず、全ては神の計らいであり、起きる時に起きることが起きている。

そしてそこには何ひとつ無駄がない。


さらにその経験を背景にして、「この身体と命を、あなたのおぼしめすままお使いください」と新しい神殿の前で祈った瞬間から、すでに僕の人生は、僕一人のものではなくなっていました。

その時、神殿の前で、言葉にできない確心と理屈を超えた手ごたえがあったからです。


この祈りは、天への絶対的な信頼をさらに強固なものにしますが、たとえこのような経験がなくても、全ての人は等しく神との共同作業で人生を歩んでいて、その人生に起きることに何一つ偶然はなく、何一つ無駄がないことを僕は知っています。



そんな気持ちを抱えて、ほとんど無一文の状態で東京に帰りました。


そしてそこから、奇跡が連続して起こるような形で、今の僕があるのですが、その話はまた明日させてもらいます。






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Posted by Blog Ranking at 08:28

2008年02月27日

サニヤスネーム

そこまでのめりこんでいたバグワンと、天河神社との間に、深い御縁があったことも後になって知りました。


もともと日本のサニヤシン(バグワンの弟子)たちが、天河神社を気に入り、何かあるたびに天河に集合していたとか、バグワンの絵の展覧会を天河でやったとか、物語にも登場するように神殿の地鎮祭の時に、その地中深くにバグワンから送られた90万年前の隕石が埋められたとか・・・あれやこれやたくさんのご縁があったのです。


シャンタンがいろいろと教えてくれました。


そのひとつひとつが、僕にとってはとても不思議でした。


その時直感したのは、僕もインドに渡って、バグワンの弟子(サニヤシン)になるのかもしれないということでした。


弟子になろうがなるまいが、そんなことは単に形にすぎないという考えもありましたが、どちらでもいいなら、なってみたいという気持ちがありました。



そしてそれはわずか数ヵ月後に実現します。





昌吉さんのコンサートに、何人ものサニヤシンが同行していました。

(そもそも昌吉さん自身がサニヤシンでした)



その中に、ジャハンとアートマラマという2人の男性がいました。


変な名前ですが、これがサニヤスネームです。

それまで俗世で使っていた名前から、新しい名前を名乗ることで、心境を一変させるのが狙いですが、この様式は、あの○○教という狂気の集団が真似をして、地に落ちてしまいました。



しかし名前というのは自己イメージに直結するので、名前を変えるというのは、ある程度効果的だと思います。


たとえばシャンタンというのは「静寂」ですが、自分を呼ぶたびに静寂をイメージするわけですから、内なる影響はあると思います。



もちろん自己イメージとは、自我(エゴ)のイメージであって、最終的には自我を超えるところを目指すのですが、サニヤスネームはそこに向かうための一段階で、ちょっとましな道具のようなものです。







今日もよろしくお願いします。

 

  


Posted by Blog Ranking at 08:33

2008年02月25日

バグワンの本

ある日突然、自分が消えてしまって、宇宙としての自分だけが存在している、そんな衝撃的な体験をしました。

その直後すぐに本屋に行って、自分がした体験を説明してくれるような本を探したのですが、いかんせんまだ時代はバブルに入ろうとしている直前で、今のように精神世界関係の書籍があふれているわけではありませんでした。


霊媒系の書物や霊言集のような本はいくつかありましたが、どれもこれも自分が垣間見た真実からはかけ離れていて、まったく興味を持てませんでした。



その中で目に留まったのが、チベット密教カーギュ派の師、チョギャム・トゥルンパとインドのマスター、バグワン・シュリ・ラジニーシとクリシュナムルティーでした。

どれもみな自分の体験をズバリ説明してくれていましたが、その中でもバグワンの言葉が最も詩的で、心をわしづかみにされてしまいました。



それからというもの、全ての書籍を買い集め、何冊も人に配り、どこに行くにも彼の本だけは必ず持って歩いていました。


もちろん天河にも持って行きました。

その時に持って行ったのは、「金剛般若経・ダイヤモンドスートラ」でした。



もう何度も読み返していて、ボロボロになっていました。



民宿の片隅に置いてあったその本を、いち早く見つけて、食い入るように読んでいたのがシャンタンでした。


それもそのはず、彼はすでにバグワンのもとで弟子入りしていたからです。






 

  


Posted by Blog Ranking at 14:35

2008年02月24日

シャンタンのこと

さてここでもっとも重要なことをお話ししますが、そもそもこの物語は、我々が地球そのものであり、宇宙そのものであり、個別意識と宇宙意識は本来一つのものなのだというメッセージを伝えたいがためのものです。


昔は突出した魂だけが到達できた至高の境地に、これからの時代は多くの人たちが到達するのだという、確信めいた予感がこの物語を書かせたのだと思います。


その予感は24年前に始まりますが、その後、同じようなことを感じている人たちが多数いることを知ります。



龍村監督のガイヤシンフォニーもその一つでしたし、それ以外にも様々な形で同じようなメッセージを発信している人たちを知ることになります。


世の中は、ますます自分の予感を強める方向に向かっているのがわかりました。



さて物語では、昌吉さんのコンサートが終わった後に、シャンタンや志織達と出会うのですが、彼らは実在しません。


シャンタンは、主人公のAが語ると鼻につきそうなメッセージを代弁するキャラクターです。

いわばAの知識の分身です。


実はこの人物にはモデルがいます。


天河で出会った日本人最初のサニヤシン(バグワンの弟子)で、60年代のヒッピームーブメントを生きた大先輩でした。


シャンタンとは「静寂」を意味するサニヤスネームで、彼自身もそのような雰囲気を持つ神秘的な男性でした。






2つの応援よろしくお願いします。

 

  


Posted by Blog Ranking at 11:54

2008年02月23日

喜納昌吉とチャンプルーズ

天河神社は能の発祥の地です。

だからお祭りには、各流派の家元が毎日のように入れ替わり立ち替わり、できたばかりのヒノキの能舞台で奉納の舞を踊っていました。

このようなことは極めてまれなことだと聞きました。


そんな舞台を間近で見られるのは神主の特権なわけで、僕もその恩恵にあずかれたはずでした。

ところが、残念なことに僕は何一つ見ていません。


その直前に奉公をやめてしまったからです。

その原因になったのが、お祭りの二日目に行われた喜納昌吉とチャンプルーズ奉納演奏でした。



物語に書かれたエピソードはすべて本当です。

僕は「花」という歌が大好きで、昌吉さんのことも前々から知ってはいましたが、実際に目の前で演奏を見ていたら、「こんなをしている場合じゃない」っていう感覚に襲われました。


とにかく体の底から湧き上がってくるどうしようもない衝動があって、昌吉さんの演奏はじっとかしこまって聞くものではなく、体中でそのエネルギーを受けて、いまここで発散させるためのものだって、勝手にそんなことを思ったのです。


そこで白装束のまま舞台に駆け上って「イェーイ!!」ってやってしまったわけです。


舞台の上で散々踊りながら、これで神社への御奉公は全て終わった、やるべきことは全部やったって、何とも言えない充実感が体中に広がっていきました。


まさに恍惚感。


すでに初日に、お祭りのメインであるご遷宮の儀式(新しい本殿に御本尊をお祀りする)は終わっていたので、余計にそう思ったのかもしれません。


応援よろしくお願いします。

  

もうひとつこちらも。

  


Posted by Blog Ranking at 13:41

2008年02月22日

光の玉 2

夜の禊殿は、まったく光のない閉ざされた一角でした。

近くを流れる天川の清流の音だけが、暗闇の中に木霊していました。


禊殿の前に車を止めて、ライトで神殿を照らしました。


この神殿は今までの本殿をそっくりこの場に移し替えたもので、新しく朱色に塗りかえられ、平安絵巻から抜け出したかのような美しさがありました。


中には何も入っていませんでしたが、ちょうど神殿の真裏が琵琶山になっていて、ライトは琵琶山の木々も浮かび上がらせていました。



反対側は川をはさんで弥山(みせん)の登山口になっています。


もっとも、最近は弥山への登山も車で4合目あたりまで登って行って、そこから徒歩で頂上に向かうために、ほとんど誰も利用しない細い山道だけが上に続いていました。





お詫び

この続きを昨日はアップしていたのですが、今日手違いで消してしまいました。

もしどなたかコピーしていましたら、教えてください。



内容としては、不思議な光の玉と出会った時の話です。

もしどなたもいなければ、再び書き直します。  


Posted by Blog Ranking at 11:21

2008年02月21日

光の玉

その後、榎木さんは同じく角川映画の「天河伝説殺人事件」の浅見光彦役(主役)に抜擢され、さらには龍村監督の地球交響曲(ガイアシンフォニー)のナレーションも務めることになります。

あれからお会いしていませんが、きっと心のどこかで、天河との不思議な巡り合わせや御縁を感じていることと思います。


さて物語では、榎木さんに差し上げた赤い巻物が効力を発揮したことを知り、Aが深夜の社務所で同じ巻物をこっそり探すという情けない場面(笑)がありますが、あそこからフィクションの世界に入ります。


深夜の神殿前で、こっそりと古書を読んでいると、光の玉が現われて、その光が意志を持っているような気がして、あわてて逃げ去る場面もフィクションです。



でも、そのエピソードは、実際に天河で遭遇したある出来事が素材になっています。




あれは天河に奉公して翌月か翌々月(4月か5月)のことでした。


泊りがけで参拝に来られたご婦人(50代か60代くらいの方でした)がいらっしゃいました。

お医者さんの奥さまで、とても品の良い知的な感じの方でした。



その方が大銀杏の木の隣にある来迎院というお寺の住職から、僕に会って話を聞くように言われたとかで、僕を訪ねてくれました。

来迎院の住職とは様々な深い話をさせてもらっていたので、そんなことから僕を紹介してくれたのだと思います。



そのご婦人が訪ねてこられたのは夕食が終ったくらいの時間で、夜の8時くらいだったと思います。

話の中で禊殿(みそぎでん)の話題になり、ちょっと夜遅いですがご案内しましょうというわけで、二人で出かけて行きました。



そこで不思議なことが起きたのです。




その内容は、また明日書かせてもらいます。





応援よろしくお願いします。

  


お手数掛けます。

  


Posted by Blog Ranking at 10:21

2008年02月20日

榎木さんのこと

榎木さんが天河に僕を訪ねてくれたのは、本当に突然でした。

リュックを背負って、山々をどこにでも旅するような、そんな若者に見えました。


その時はあまり元気がなく、仕事のことにも悩んでいたようでした。


民宿の部屋で夜遅くまで話し込んでいたのですが、その時、小さなスケッチブックを見せてくれました。


それは20cm四方ほどの、掌にのっかるくらいの大きさのノートでしたが、そこには彼が今まで旅した場所の風景が描かれていました。

とても見事な水彩画のような絵だったと思います。


思わず
「上手いねエ」

と叫んでしまいましたが、その後テレビ番組などで、彼が世界の聖地を旅して、その風景をスケッチしている姿が紹介されますが、もともと絵の才能があった人なんだなと、今更ながらに感心しています。



物語の中で、最近芝居の仕事が減って悩んでいると言われ、それならばと願いがかなうという赤い巻物を手渡すシーンがありますが、そのエピソードも実話です。


本当にその赤い巻物(実際は蛇腹折りのもの)に神力があり、それによってその後の彼の人生が好転したとは思いませんが、実際に彼が天河から東京に帰ってみると、わずか数日後に角川映画の超大作「天と地と」の主役が転がり込んできたそうです。


転がり込んできたというのは、もともと主役に決まっていた渡辺謙さんが病のために出演できなくなり、それで彼に白羽の矢があったったということでした。



不思議なこともあるものだと思いました。




今日もよろしくお願いします。

  


お手数掛けます

  


Posted by Blog Ranking at 10:54

2008年02月19日

赤い巻物

神社に行ってからのエピソードは、ほとんどが事実です。

宮司さんが決して行かないはずの温泉までやって来て、僕に留まるように誘ってくれたことも、いったん東京へ帰った時に龍村仁監督に天河を紹介しに行ったことも、その後の龍村さんとのことも、俳優の榎木孝明さんとのことも、すべて本当のことです。


物語の中に赤い巻物が出てきますが、実際には巻物というよりは蛇腹のように折りたたんだ経文風の代物でした。

表紙はえんじがかった赤だったと思います。



それを持っていると何でも望みがかなうと言われました。

その冒頭には「我、弁財天は、陰陽別つる前の根源なり」というような言葉が書かれていたと記憶しています。


そしてマントラが書かれていました。

それを一万回唱えると、限りない財が自分に流れてくるとありました。

もちろん暗記しましたが、一万回は言っていません。



もしよろしければ試してみますか?

漢字表記は忘れてしまいましたが、言葉はしっかり覚えています。


その真言(マントラ)に曰く


ナムビャクダギョウ ウガヤジャヤ ギャラベイシン ダマニ ビンデン ウン ソワカ




覚えている漢字は

ナムビャクダギョウが「南無白蛇経」

ビンデンが「貧転」だったと思います。


要は白蛇に帰依して、それを徹底すれば、貧しさが転じて福となるということではないかと思います。

なんとなくちょっと怖いですね。



天河は龍神信仰ですが、神殿がある琵琶山から白い龍が天に向かって一気に駆け上ったなんて話が、まことしやかに囁かれていて、それが違和感なく聞けてしまう、そんな場所でした。





今日もよろしくお願いします。

  


お手数掛けます

  


Posted by Blog Ranking at 08:40

2008年02月17日

五十鈴

さらに神崎さんはこう続けました。

「この神社には霊能者達が吸い寄せられるように集まってくるんだけど、神主は宮司と2人しかいなくて、僕の先輩なんだ。10年前にふらりと天河に行ったきり帰ってこなくなっちゃった」

そんな言葉を聞いていると、なんだかとてつもなく神秘的な場所なんだろうと想像しました。

先ほど見せてもらったUFOの映像も、その神秘性に拍車をかけていました。




その数日後、博報堂のCMプランナーのKさんが、作曲の仕事を持ってきてくれました。

その時、彼の口から思わぬ言葉が飛び出しました。

「天河神社知ってる?」


つい先日名前を知ったばかりだったので、そのことを伝えました。

すると彼は

「Aさんは絶対に気に入るから行ってごらんよ」

と言ってくれました。

立て続けに紹介されるのは何か意味があるのかと思いましたが、すぐに行く気にはなれませんでした。



Kさんと会った翌日、プロデュースしていたバンドのコンサートが川崎チッタというホールで行われました。

楽屋にいると、ファンの女の子(高校生)が僕に会いたいと訪ねてきました。

僕は裏方だったので、何故僕に?と思いましたが、会ってみるといきなり小さな鈴を持ち出してきて、僕の耳元で鳴らすのです。

そして言いました。

「Aさんなら何かを感じてくれるかと思って・・・」


そのお鈴がです。

そう、このブログのランキングサイトのボタンに使わせてもらっているものです。

これが天河神社のシンボルの五十鈴(いすず)だと聞いた時は、あまりの偶然の重なりに驚きました。


それが天河に行くことを決心した決め手になりました。





おなじみのコレ、よろしくお願いします。

  


こちらも押してもらえるとありがたいです。

  


Posted by Blog Ranking at 11:56

2008年02月16日

天河との出会い

平成元年3月・・・

そもそも天河神社を訪ねたのは、まったくの偶然ではありません。


人の紹介があったのです。


でもとても不思議だったのは、1週間に3人の人から別々に紹介されたのです。


一人は神崎夢現(かんざきむげん)さんとういう、グラフィックデザイナーでした。


当時プロデュースしていた七福神というロックグループのコンサートチケットをデザインしてもらうためにお会いしたのですが、いわゆるスピリチュアルな世界の話が好きな人で、仕事そっちのけでいろんな話に興じました。

そのとき、つい最近撮ったという未確認飛行物体のビデオを見せてくれました。


どこにでもある街路樹の上を、あきらかなUFOが不定期な動きを見せて浮かんでいます。


そう、飛んでいるというよりは浮かんでいるんです。


しかもかなりの低空飛行で、その形がはっきりと認識できます。



僕は半信半疑で尋ねました。

「ウソでしょ?」


撮ったのは彼の友人の映像監督で、その監督もその場にいたのですが、二人とも真顔のまま、「いや、ウソじゃなくて、こういうことですよ」

って言い切りました。



僕はそれ以上追求しませんでした。

結局はその映像が本物なのかトリックなのかはわからず仕舞いです。




さて、そのフィルムが終わった後に、神社が映し出されました。


静まり返った村につながる赤い橋、大きく枝を広げた銀杏の木、その向かいには大鳥居、波模様の白い砂利・・・

どこにでもある田舎の神社風景でしたが、なぜかUFOの映像に勝るとも劣らない神秘的な空気を感じました。



それが天河神社だったのです。






応援よろしくお願いします

  
  


Posted by Blog Ranking at 17:11

2008年02月15日

たねあかし

説明のつかない可能性で奇跡的な出会いがあり、ほんのわずかなタイミングの一致によって人生そのものが大きく変わっていく経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。

かんながらの物語は、そんな人生の不思議な巡りあわせを書いてきました。


それは人知を超えた計らいであり、ダーマ(法)の世界の仕組みなのだと思います。


実際、今現在も多くの奇跡が起きていて、この物語はエンドレスで続いていくのかもしれません。




さて、第二部を書こうと思っているのですが、その前に整理しておかなければいけないことがたくさんあるように思います。

そもそもこの物語は漫画の台本のつもりで書き始めたものです。


したがって荒唐無稽なエピソードが登場したりしますが、その真意は、事実とフィクションを組み合わせることで、どこまでが事実でどこからがフィクションなのかわからなくなり、漫画がドラマチックになるという考えからでした。


書いたのは1999年の暮れですから(当初は7つの鍵の巻で終わっていました)、すでに10年近く経ったわけで、あれから時代も大きく変わり、僕の社会的環境や、物語の存在理由も変わってきました。



今僕は思っています。


いったん物語を解体し、事実とフィクションをはっきりと読者にお伝えすることが必要なのではないかと・・・


それによってファンタジックな興味は消えますが、この先書き進めていく予定の第二部の展開に、信憑性を持ってもらえるのではないかと思うのです。


第二部は、できるだけ事実に忠実に描いてみたいと思います。



フィクションを入れなくても、事実は小説より奇なりというわけで、十分に好奇心を満たす内容になるからです。




そんなわけで、次回からはかんながらの物語に描いたフィクションの部分を紹介することで、事実を明らかにしていきたいと思います。



これからも応援よろしくお願いします。








  
  


Posted by Blog Ranking at 16:21

2008年02月12日

両部曼荼羅

今も僕の家のリビングに、2つの曼荼羅が飾ってあります。

その時に玄考さんが高野山からお土産に持ってきてくれたものです。



両部曼荼羅と呼ばれるもので、「胎蔵界曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」の一対です。

いただいた時は解説書が付いていたのですが、当時はいくら読んでもちんぷんかんぷんでわかりませんでした。

実は今もってよくわかっていません。




玄考さんのお話では、片方の曼荼羅は森羅万象のすべてに宇宙の中心である大日如来のパワーが浸透している様を表していて、もう一つの曼荼羅は、地上の一つ一つの存在はすべて大日如来に通じているという意味だとか・・・

どちらがどちらだったかも忘れてしまいました。



簡単に言えば、ひとつが全体につながり、全体はひとつに帰結するという意味でしょうか。


この宇宙はたったひとつの構成要素によってできているという、最新物理学が発見した存在の真実を、千数百年前に内なる洞察によって見抜いた人たちがいたわけで、そのほうが驚きです。





玄考さんは翌日山に戻りました。

改札口で彼の後姿を見送りながら、もう二度と会えないのかもしれないと感じました。


彼は今でもお大師様の朝食を作っているかもしれません。

世界人類の平和と幸せを祈っているのかもしれません。




光陰矢のごとし。

あれから20年近い歳月が流れました。



お互い一度きりの人生。

どう生きても一度きりの人生。



悔いのない人生を送っていますか。

あなたと旅の途中で出会ったことを、今も忘れずにいます。




応援よろしくお願いします

  
  


Posted by Blog Ranking at 08:52

2008年02月09日

1200年間の継続

最後まで黙って話を聞いていた玄考さんが言いました。


「おもしろそうですね・・・Aさんのことは大好きだから、せっかくのお誘いをお受けしたいんですが・・・

でも僕は明日高野山に帰ります。

次に自由な時間ができるのはいつの日になるかわかりません。

実は今でも毎朝お大師様(空海)に、朝食をお作りしているのです。

僕はその役目を担っている一人です」



「え?大昔に死んだ人の朝食を作っているの?」


「はい」




「まさか亡くなってからずっと作ってきたわけじゃないでしょ」


「1200年間、毎朝欠かさずずっとです」


「え?・・・」


「お大師様は今も生きてらっしゃいます。

その存在感は今も変わらずあるのは、おそばにいる者ならわかります」



さっきまでのセミナーの話はどこかに飛んでしまいました。

あまりの話のインパクトに、僕が喋った内容など、どこかに消えてしまいました。




僕は少しちゃかした風に言いました。

「まさか本当に食べてるわけじゃないよね」


すると玄高さんは真顔で答えました。

「いえ、実際にお召し上がりになっていますよ」



!!


それ以上つっこむのはやめました。

玄考さんが本当に真顔だったからです。



おそらくは今も空海の魂が存在すると考えることで、高野山の意味が上がるので、そのような慣習が残っているのだと思いました。

でももしかしたら玄考さんの感じていることが本当なのかもしれません。



人間が身体以上の存在だということは理解できますし、空海ほどになれば、その存在感を永遠に残しておくことができるのかもしれないと思いました。


自分の不信心さにくらべて、目の前の若者の純真なこと。



僕はもっとこの若者のことを知りたいと思いました。








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Posted by Blog Ranking at 08:45

2008年02月08日

再会

それから半年が経ちました。

僕が天河から下界に下りて、セミナーアシスタントを始めたころのことです。

受講した後のセミナーハイが続いたまま、ギラギラに輝いていたと思います。

人類の5%に意識変革が起きれば地球は変わるというスローガンを本気で信じていましたし、それがセミナー会社が卒業生に新たな受講生を勧誘させる大義名分になっていました。



そのころはまだ、自己啓発系セミナーの問題点を感じていませんでしたので、会う人会う人、誰彼ともなくセミナーに誘っていました。

セミナー会社からしてみれば、最高の営業マンだったと思います。



そんな頃に玄考さんが、わずか一泊二日の日程で、高野山から東京まで、わざわざ僕に会いに来てくれたのです。

山奥で見た時は法衣姿がしっくりきていましたが、街中で見ると何だかとてつもない格好に見えました。

喫茶店で向かい合って話をしている時も、周囲の視線がやたらと気になったのを覚えています。



僕はそんな玄考さんにもセミナーを勧めました。

僕自身も喫茶店で仕事仲間から勧誘されて、その時は相手が唐突にその話を始めたので驚きましたが、今度は僕がその役をやっていたわけです。



あの時の僕のように、玄考さんは目を丸くして、それでも一生懸命に話を聞いてくれました。

このような純粋な若者には是非とも参加してもらいたいと思い、僕はいつになく熱く語ったと思います。




つづく




応援ボタンをよろしくお願いします。

  
  


Posted by Blog Ranking at 09:20

2008年02月07日

祈り

歌い終わると、玄考さんは仏壇に向かって般若心経を唱えだしました。

ちょっと芝居がかった展開でしたが、きっと歌のお返しに唱えてくれたのでしょう。


吉野の山奥の小さな人里の、これまた小さなお寺の中は、まるで異次元のような雰囲気に包まれていました。

一心不乱に経を読む青年。


同じ時代に生きているというのに、人が選ぶ人生はなんと多くの可能性にあふれていることでしょう。




読経を終えた玄考さんが、振り向きながら言いました。

「世界の争いや苦しみがなくなるといいですね」


そのまなざしには優しさがあふれていました。


「そうですね。なくなるといいですね」

僕もそう答えました。



宇宙との一体感。

それはそのまま、自分が全体であることを意味します。

同時に、全体が自分という器を通して生きているということでもあります。



個人の悟りの体験から発生するのは、世界全体が幸せであることを祈ることです。


なぜなら、世界全体が自分だからです。






よろしくお願いします

  
  


Posted by Blog Ranking at 11:32

2008年02月06日

すべての人の心に花を

「次の瞬間に思ったんです。

あれ?僕という存在が過去の集積であれば、その過去を幻想と見抜いた瞬間に、僕そのものが煙のように消えてしまう。
目の前に座っている僕はほんとうの自分じゃない。

それはすでに死んだ過去の寄せ集めだ。

本当の自分は過去の幻想から自由になった時に、いまここに存在していて、これは決して死ぬことはないんだ。

そう思ったとき、自分が永遠の宇宙と一体化していました。

その経験があまりにも素晴らしかったので、さらに真実の奥儀を究めてみたいと思って、御縁があった高野山にお世話になっているんです」





二人が話をしている大銀杏の木の隣に、来迎院というお寺がありました。

そこの住職さんとはすでに親しい関係だったので、玄考さんを連れてお寺に入りました。


お二人を引き合わせて、しばし歓談していると、仏間の片隅に小さな携帯用の鍵盤楽器が置いてあるのが見えました。

前回お邪魔した時に僕が忘れていったものでした。

50cmくらいのオモチャの楽器でしたが、音はちゃんと出ます。



それを持ち出してきて、玄考さんに歌をプレゼントしようと思いました。

僕も同じ経験をして、道を探して生きていることを伝えたかったのです。




川は流れてどこどこいくの
人も流れてどこどこいくいの
そんな流れをこの内に
花として花として咲かせてあげたい

泣きなさい 笑いなさい
いつの日かいつの日か花を咲かそうよ



天河で喜納昌吉さんとお会いする2か月前のことです。





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Posted by Blog Ranking at 11:03

2008年02月05日

死の恐怖

人生にはたくさんの選択肢があるというのに、なぜこの若者は僧侶の道を選んだんだろうと思いました。

そういう僕も、ひょんなきっかけとは言え、その時は神官の白衣を着ているのですから、人の事がどうこうというわけではありません。

「玄考さんは、なぜ修業しているの?」

唐突に聞いてみました。


玄考さんはちょっとびっくりした顔をしましたが、自分のことを話せる機会ができたことを喜んでいるような感じで話し始めました。


「家がお寺さんだったわけじゃないんです。

僕は子供のころから・・・・そう5歳くらいの頃から死ぬということが怖くて怖くて・・・

夜眠る時も、このまま目が覚めないんじゃないかって思って、なかなか寝付けないこともありました。

だんだんとその感覚は薄れていくんですが、それでも死という謎は残されたままだったんです。

それがですね、19歳のある時、変な出来事が起きたんです。

夕暮のことだったんですが、窓辺で本を読んでいてウトウトし始めたんですね。

そしたら次の瞬間、自分の背後に自分が立っているんですよ。

ウトウトしている自分の体が目の前にあって、僕はすごくクリアーな意識のまま、そんな自分を眺めているんです。

体から抜けてしまった驚きよりも、その時に感じたのは、またこの重たい身体に戻って生活していくのは難儀だなって。

そんなことを考えていたら、目の前の自分は、今までの自分の過去のすべてだって思いました。

それは実体というよりは、記憶の束みたいなものだなって」



「わかるよ、その感覚。自分だと思っているのは思い込みの束だよね」

思わず話に割って入ってしまいましたが、玄考さんはちょっと微笑んでうなずきながら話を続けました






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2008年02月02日

阿字観

「この字をじっと見ながら脳裏に焼き付けるんです」


小さな石碑には、たったひと文字が描かれていました。

梵語の最初の母音で「阿」を表す文字だそうです。


その文字を見ながら坐禅三昧に入り、心身を超越しようというのが、真言密教の瞑想でした。

「阿の字」をじっと見ながら瞑想するので「阿字観(あじかん)」です。




文字をじっと見つめる以外は、普通の坐禅と同じやりかたです。

石碑の前で膝を折ったまま、両掌を胸の上で重ねて、玄考さんはじっと「阿の文字」を見つめていました。



「だんだんとこの文字を頭の中で大きくしていくんです


やがてはこの辺りいっぱいに、そして町いっぱいに、国いっぱいに、地球いっぱいに、宇宙いっぱいに・・・

そうやって宇宙大まできたとき、自分が宇宙と同じ存在だと気づくんです。


その時、自分と世界はひとつだという境地に行きついています

これってAさんが言わはることと同じですね」



僧侶の口から「宇宙」という言葉が何度も出てくるのは新鮮でした。

そして「自分=世界」だと気がつくことがゴールだというのです。



僕はわが意を得たりと思いました。






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Posted by Blog Ranking at 08:12