2007年12月24日

2番目の鍵

かんながらの物語の中で、2番目の鍵として登場するのが<トマス伝>の一説です。

その解説は「南朝の巻」に登場します。




キリストの弟子は、学問を積んだ者たちではなく、漁夫や農夫といった素朴な人たちでしたが、その中にあってトマスとユダは、比較的インテリだったと言われています。



さて、聖書に出てくるキリストについての記述は、マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝に記されています。

でもちょっと不思議なことがあります。

というのも、細部にわたって、言い回しまで含めて、4人とも同じような記述をしていることです。


同じキリストの直接の弟子として、同じ話を聴いたのだから、内容が同じになるのはあたりまえと思うかもしれませんが、はたしてそうでしょうか。


人間は相手の話を、自分の観念を通して聞きたいように聞きます。

一人の人が話した言葉でも、感想文を書いてもらえば、人によって微妙に解釈が違うのが普通です。

その訳は人それぞれに、自らの観念のワクを通して言葉を理解するからです。


だから話した内容と、聞いた内容が違うこともよくあることです。

「確かに言った」「「聞いてない」の衝突も、そんな中から生まれることもあります。


それなのに4人の使徒たちの福音書が、奇妙なほどに一致しているということは、それを客観的に編集した者の意図が働いたと考えるのが妥当だと思うのです。


それは聖書を編集した人、キリスト教創設に関わった人でしょう。

そのときに、彼らの意図とは違うキリストの言葉は排除されたとする説がありました。


それを裏付けたのが、1945年にエジプトで発見されたトマス伝です。

残念ながら、発見から60年がたった今でも、隠され黙殺されたままでいます。

しかしその文章からは、聖書の内容に劣ることのない宝のような真実がいたるところに見て取れます。


次の機会にその一文と解説をご紹介しましょう。







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