続・見性直後(向和尚より)

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2007年08月07日 08:12

空港からの帰り道
「自分は気が狂ったのでは?」という恐れと、言い知れぬ孤独感が私を襲いました。


バスにも乗らず、どこをどう歩いたのか定かではありませんが、
私は阪急電車の駅のベンチに坐っていました。

「ゴーッ」と特急が通過すると、まるで電車が動かず、駅と自分が動いているように感じたことを覚えています。



幸い、何とか無事家に帰り、次の日からは特異な体験もなく、心から落ち着き、普通の学生生活に戻りました。



ただ、臘八大接心に一緒に参加した、友人のT君が、

「向君、この間夕方歌うたってたやろ」
とニッコリ笑って言ったのには、少し驚きました。

「へぇー、テレパシーってあるんだ!」と。




当時は、まだ僧侶になるつもりはありませんでしたが、禅をもっと究めよう、参禅を続けようという意志は明確でした。



好きな先生の講義は、坐禅をしながら集中して聞きました。

寝袋を担いで、大学の裏山でひとり夜坐をしたりもしました。


しかし、夜坐をしても、臘八大接心のように集中して三昧になれず、好きな女の子のことをしきりに思ったりしました。




従って、私の見性が究極のものでないことは確かです。


お釈迦様の悟り(見性)は、「滅尽定(めっじんじょう)」といって、自我が完全に消滅し尽して、二度と煩悩や妄想が起こらなかったそうですから。





つづく




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ひとりの禅僧のありのままの体験記。

興味深いですね。


明日もこの続きをお届けします。






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