授戒 3
ただ私の場合、師匠がずうと現役の老師として雲水を指導してこられたので、接心(特別の修行期間)のたびに荷担しながら参禅修行を続けてこられたことが、幸運であったと感謝しています。
住職となって、気ままに生きてみて分かったことは、「戒律は、なによりも自分自身のためにある」ということです。
諸々の物質的・肉体的な欲望や、怒りや貪りや驕りはエゴの囚われであって、真に安らかで楽しく活き活きとした精神生活を実現するためには不要な荷物です。
富士山の頂上にまで至り、ご来光を拝み清々しい気持ちになるためには、身に一杯の荷物を抱え引きずったままでは登ることは出来ません。
エネルギーと関心が荷物にとられて、前進し向上することができないのです。
「授戒」の意義は、こうした不要な荷物を捨て、仏教徒として自律した真実な向上の一路を歩み出そうと決意することであると思います。
「戒・定・慧(かいじょうえ)」の三学が禅・仏教徒の修行の根本とされる理由はここにあります。
戒(戒律):自分自身にとっての規律ある倫理的な生活があって、
定(禅定):心が落ちつき、今ここに成りきって生きることができ、
慧(智慧):物事を正しく見る智慧がはたらく、
というように戒・定・慧は一体となって精神生活を推進する原動力となるのです。