続・続・欲望について
さてずいぶん遠回りをしてしまいましたが、僕たちが聖なるものに行きつくためには欲望を無くすことが必要ですが、それは自らの意志でできることではないのです。
だから精神の道を歩むために、家族や財産や仕事を捨てるというのは、目的は正しくても、手段として間違っています。
僕たちは何も捨てなくていいのです。
そもそもそんなことはできないのですから。
この勘違いが、多くの求道者達を長きにわたって惑わせてきたように思います。
そして何も持たずに、質素な小屋に住み、着のみ着のままで粗末な食事を繰り返すのが、本当の聖者のあるべき姿だと思っています。
でもその暮らしぶりや、活動の内容と、その人の意識の達成度はなんの関係もありません。
貧しい暮らしをしながら、その日暮らしをしている人が無欲で悟った人ではなく、豪華で優雅な生活をしている人が、欲にまみれているわけではありません。
そのような外観からの判断は、まったく表面的なものでしかないのです。
実際、貧しいより豊かなほうがずっといいと思います。
坐禅をするのも、固い石の上より、ふかふかの心地いい布団の上のほうがずっと快適です。
布団が手に入るのに、わざわざ石の上で坐ろうとする態度こそが、不自然な態度であり、それが悟りへの道ではないということです。
したがって、いまだ道の途上にある僕たちの生活態度として一番的を射ているのは、何でも手に入るものは手に入れながらも、そこに執着しないという生き方ではないかと考えています。
この記事は、真剣に道を求めようとしている人に書いています。
形に惑わされて遠回りした男からの助言です。
この情報が多くの人に届きますように。
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