高野山奥の院
仏教は本来、人々を真理に誘なうための教えで、それを自ら追求し一般衆生に説いて聞かせるのが僧侶の役目です。
ところが僕たちも知っているように、お坊さんが葬式やお盆の専門家になってしまって、本来の目的を十分に果たさなくなってしまいました。
この原因は彼ら自身にもありますが、この国の仕組みにもあるように思います。
檀家制度です。
そもそもこの制度は徳川政権時代、キリシタンの排除を目的に「宗門改め」というものがあり、すべての国民はその地域の寺に所属することで、自分の信仰を明らかにしたのです。
このことについてはまた後日触れますが、とにかくその制度が仏教という本質を変えてしまったと思います。
でもそんな中にあって、必ず本来の役目を純粋に追及している人たちがいるはずだと信じていました。
きっと見えないだけでたくさんいるのだと思います。
天河にいるころ、高野山のお坊さんたちがよくお参りに来てくれました。
天河は空海が青年時代に修業を積んだ場所といういわれがあるので、来ていたようです。
その何人かと親しくなりました。
高野山奥の院というところで、空海に最も近いところで修業をしている若き僧たちでした。
多くの人の目に届きますように
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