死に切る
臘八大接心(ろうはつだいせっしん)は、釈迦が菩提樹のもとで一週間不眠不休で坐りつづけて、8日目の朝に忽然と大悟したという故事にならって、釈迦と同じ日の12月1日から8日まで、ぶっ続けで坐禅三昧に入る荒行です。
ちなみに向和尚は、18歳の時にいきなりこの行に参加し、天地一体の境地を悟っています。
その時の向さんは、父親の急逝というショッキングな出来事があり、あまりにもあっけなく死んでしまう人間の存在に儚さを覚え、この世の真理を悟るまでは死んでもここを動かないという必死の覚悟があったからこそ、達成できたことだったようです。
したがって、行に入る修行者に求められるのは、「死ぬ気」があるかどうかです。
実際に、悟りとは「完全な死」を意味します。
僕たちの魂は生死を超えているので、自殺しても実際には死ぬことはできませんが、修行を通して自分(自我)が死に切れば、そこに新しい自己が再生します。
それが悟りです。
老師はこう言って修行僧を荒行に送り出すそうです。
「死に切ってこい」
さて、ドイツから来たヘルガさんですが、身を捨てて修行に打ち込んだ背景には、肉体の死を間近に控えて、もう何も守るものもなく、一切がっさいを捨てきって、真の悟りの境地を目指す覚悟があったのだと思います。
死に切る覚悟というものは、彼女のような境遇に追い込まれて初めて手にするものかもしれません。
そのように考えると、死という現実と直面するということは、われわれが彼方にジャンプするための、絶好の機会なのかもしれません。
さて、そんな彼女が行き着いた境地はどんなものだったのでしょうか。
それを物語るエピソードが残されています。