2007年12月20日
天河神社
かんながらの物語を書いたのは1999年の暮れで、エピローグは2001年に入ってから書き上げました。
書こうと思った目的は、当時お付き合いをしていた漫画家へのシナリオ提供です。
漫画のような気楽に読める媒体を通して、自分の気づきを人に伝えたいと思いました。
ただ、あまりにも長く、内容も濃かったために、漫画化は実現しませんでした。
それが今こうしてブログという、当時は考えもしなかった媒体で、多くの人に読んでもらうことができています。
たいへんありがたいことです。
この物語に興味を持ってくれた結果、「天河神社」に行ってきましたと報告してくれる人が増えています。
もう何人もの人から、そんなメールを頂きました。
沖縄からもずいぶんたくさんの人が訪ねてくれて、沖縄と天河のご縁を繋げさせてもらったように思います。
実は僕自身は、天河にしばらく行っていません。
平成4年の6月に、前年に生まれたばかりの息子と妻を連れて訪れた時は、たまたま初節句のお祭りの日で、神前に子供を紹介することができました。
その後、平成6年と8年に行ったきり、もう10年もご無沙汰しています。
宮司さんとも最近は電話でお話しただけで、しばらくお会いしていません。
こうしてブログを書かせてもらっているおかげで、その波動だけはいつも感じさせてもらっていますが、近い将来、また行ってみたくなりました。
どうぞみなさんも、一度訪ねてみてください。
気持ちが澄んでくる不思議な場所ですよ。
これからもさまざまな情報をお伝えしていきます。
応援よろしくお願いします。
書こうと思った目的は、当時お付き合いをしていた漫画家へのシナリオ提供です。
漫画のような気楽に読める媒体を通して、自分の気づきを人に伝えたいと思いました。
ただ、あまりにも長く、内容も濃かったために、漫画化は実現しませんでした。
それが今こうしてブログという、当時は考えもしなかった媒体で、多くの人に読んでもらうことができています。
たいへんありがたいことです。
この物語に興味を持ってくれた結果、「天河神社」に行ってきましたと報告してくれる人が増えています。
もう何人もの人から、そんなメールを頂きました。
沖縄からもずいぶんたくさんの人が訪ねてくれて、沖縄と天河のご縁を繋げさせてもらったように思います。
実は僕自身は、天河にしばらく行っていません。
平成4年の6月に、前年に生まれたばかりの息子と妻を連れて訪れた時は、たまたま初節句のお祭りの日で、神前に子供を紹介することができました。
その後、平成6年と8年に行ったきり、もう10年もご無沙汰しています。
宮司さんとも最近は電話でお話しただけで、しばらくお会いしていません。
こうしてブログを書かせてもらっているおかげで、その波動だけはいつも感じさせてもらっていますが、近い将来、また行ってみたくなりました。
どうぞみなさんも、一度訪ねてみてください。
気持ちが澄んでくる不思議な場所ですよ。
これからもさまざまな情報をお伝えしていきます。
応援よろしくお願いします。
Posted by Blog Ranking at 12:19