2022年08月19日

お久しぶり。

ブログタイトルを「シャバダ・バダ」から「裏ブログ」に変えた。

もともと「シャバダ・バダ」というタイトルだったのは、娑婆(しゃば)の話をしようと思ったから。

その精神は保ったまま、今日は久しぶりに新しく記事を書いてみよう。



娑婆(しゃば)への考え方は沢山あって、僕の意見もその中の一つに過ぎない。


愛(真理)は一つしかないけれど、娑婆の意見は人の数だけある。

愛を語ったときは問答無用でも、娑婆の意見に対してはそうはいかない。

これを読めば、いろいろ言いたくなるはずだ。

そんなわけで、面倒だからこのブログにはコメント欄がないのだ。



さて久しぶりの記事に何を書こうか。

いきなり政治の話でもしてみる?


その昔、「この程度の国民なら、この程度の政治」と言った法務大臣がいた。

歴代の政治家発言の中で、マイベストの名言だ。


僕は常々、選挙で政治家を選んでいるうちはダメだと思ってきた。

たぶん将来は全く違う形で政治や行政が行われていくだろうけれど、まだ当分はいまの形が続くだろう。


なぜ選挙で選んでいるうちはダメなのかと言うと理由は沢山ある。

まずは政治家を、政治家になりたい人の中から選ばなくてはいけないということ。

立候補する人って、変な人ばかりだと思わない?

自分の力で何かを変えようとか、影響力持ちたいとか、自我の特性をそのまま発揮するような人ばかり。

言うことは美しいけれど、結局は権力闘争であり、勝手にやれよって感じ。

「日本国の将来のために」とか言っても、そんな言葉が百年以上も繰り返されてきて、いまも何も変わらない。

何故かと言えば、自我の構造が変わらないから。


他にも選挙がダメな理由は幾つもある。

そもそも晴れて選ばれた人の在任期間の一番の関心はなんだろう。

それは次の選挙にも勝つこと。

よく見てみれば僕が言っていることが分かるよ。

政治行動の選択基準が、つまるところそこに来てしまうのは仕方ない。

だってそれがなくなったら元も子もないのだから。

したがって彼らは票にならないことはやらない。



あとは政党政治というナンセンス。

与党も野党も、一見希望が持てそうな新しい党も、党であること自体が暴力的で、これも選挙制度の産物だ。

これしかないからみんな麻痺しているけど、「選挙戦」と言うように、戦いがその背後にあるのだから愛とは程遠い。

そう、選挙制度とは愛のない制度なのだ。


したがって人が愛に目覚めることが、抜本的な社会の変化に繋がる。

じれったいけれど、それしかない。


まだまだあるけど、今日はこの辺にしておこう。


いろいろ書いたけど、笑って許してちょうだい。


許してチョーダイ!


♪ピアノ売ってチョーダイ!!


大して面白くなくてスマン。



Posted by Blog Ranking at 06:31