2007年07月29日
本当の僧侶
このような形で向さんを紹介できることを幸せに思います。
僧侶というと葬式を司る職業のイメージがありますが、それは歴史の中で作られていったもので、本来僧侶の役割は葬式なんかじゃありません。
キリストが言うように「死んだ者のことは死んでいる者たちに任せておきなさい」という指摘が的を射ていると思います。
死んだ者というのは文字通り死者のことで、死んでいる者たちというのは、死んだように生きている人、すなわち真理を見ることなく欲望や世間体などの幻想の世界で生きている人達のことです。
僧侶の本来の役目は、全人生を投げ打って真理の獲得に励み、獲得した後は衆生たちの進むべき道を照らすガイドです。
現在でも、純粋にそこを生きようとしているお坊さんがいますが、その一人が向さんだと思います。
ところがそのような人とシャバで出会うのは至難の業ですよね。
出会ったとしても、その人が持つ宝を分かち合ってもらえる機会はほとんどありません。
それがこのようなネットの世界のおかげで、誰もが簡単にそのような機会を得る事ができています。
これはなんと素晴らしいことでしょう。
これからも向さんには、多くのメッセージを発信してもらいたいと思っています。
我々世間に暮らす衆生の変わりに、その世界を徹底して生きてきた向さんに教えてもらいたいことはたくさんあります。
まずは、昨日の「無位の真人」の文中に出てきた「生死を超えた大いなる命」という言葉を、さらに詳しく教えていただきたいとメールしておきました。
みなさんも質問などありましたら、このページからメールに書いて送ってください。
今後ともよろしくお願いします
↓

僧侶というと葬式を司る職業のイメージがありますが、それは歴史の中で作られていったもので、本来僧侶の役割は葬式なんかじゃありません。
キリストが言うように「死んだ者のことは死んでいる者たちに任せておきなさい」という指摘が的を射ていると思います。
死んだ者というのは文字通り死者のことで、死んでいる者たちというのは、死んだように生きている人、すなわち真理を見ることなく欲望や世間体などの幻想の世界で生きている人達のことです。
僧侶の本来の役目は、全人生を投げ打って真理の獲得に励み、獲得した後は衆生たちの進むべき道を照らすガイドです。
現在でも、純粋にそこを生きようとしているお坊さんがいますが、その一人が向さんだと思います。
ところがそのような人とシャバで出会うのは至難の業ですよね。
出会ったとしても、その人が持つ宝を分かち合ってもらえる機会はほとんどありません。
それがこのようなネットの世界のおかげで、誰もが簡単にそのような機会を得る事ができています。
これはなんと素晴らしいことでしょう。
これからも向さんには、多くのメッセージを発信してもらいたいと思っています。
我々世間に暮らす衆生の変わりに、その世界を徹底して生きてきた向さんに教えてもらいたいことはたくさんあります。
まずは、昨日の「無位の真人」の文中に出てきた「生死を超えた大いなる命」という言葉を、さらに詳しく教えていただきたいとメールしておきました。
みなさんも質問などありましたら、このページからメールに書いて送ってください。
今後ともよろしくお願いします
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