2007年08月03日

見性直後 (向和尚より)

初めての見性体験の後、自宅に帰った向青年がどんなだったか、手記を送っていただきました。



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さて、大阪の自宅に帰ってからのことをお話しするのですが、その数日間の私の行為は、

「なぜ、そんなことをしたんですか?」と聞かれても、
「そうしたいと思ったから、そうしたんです」
と答えるしかないことを先ずお伝えしておきます。


ですから、「根本的なところでは、人間の行為に理由などいらない」というのが、見性してからの私の人生哲学(?)です。




その日「ただいま!」と家に帰ると、母親がうれしそうな安堵した顔で迎えてくれました。

夕方、二階の自分の部屋の窓を開けて、その前で坐禅をしながら、階下の母親と妹を呼びました。



「すずしいねぇ~、気持ちいいだろう~」と声をかけ、
「ウ~、ウゥ~ウ~♪」と心から自然に流れるリズムをハミングして聞かせました。


二人はくすくす笑いながらも、うれしそうに聞いていたようです。




その晩、寝ようとすると急に老師に会いたくなりました。

明日、老師に会いに行こう
と心に決めて、その日はぐっすりと休みました。



翌朝、阪急電車で豊中まで行き、バスに乗りかえて伊丹空港に到着しました。

空港ロビーの人混みの中を通って、カウンターで大分行きのチケットを買ったのですが、その時、驚いたのは、私と視線の合った人の心が、まるで鏡に映すように瞬時にわかったことです。


カウンターのかわいい女性の目は純で素直で優しい心、通りすがりの男の落ち着かない目は何か悪いことを企んでいる心と、まるで私の心の中に飛び込んでくるようにハッキリとわかったのです。



大分行きの飛行機出発まで3,40分はあったかと思います。


出発ロビーのすぐ前方で飛行機が発着するのを見ながら、ベンチに座って待ちました。



するとどうでしょう。私は知らぬ間に、忘我の深い深い禅定に入ってしまったのです。

それは時空を越えて、まるで地球の磁場の中に溶け込んだような状態でした。



突然遠くに、イエスキリストが金色に輝いて現れ、しばらくして消えました。

私は、キリスト教系の幼稚園と大学に通いましたが、キリスト教を信仰していたわけでもないのに不思議なことです。



ふと、我に帰ると、まさに大分行きの飛行機が、離陸しようとしているではありませんか。


私はロビーを飛び出して、飛行機を止めようと、「カーッ」と一喝しました。



もちろん飛行機が止まるはずもなく、
「ア! 喝では飛行機は止まらんのか」と了解して、人に気違いあつかいされてはかなわん、これはヤバイと思ったのでしょう、早々に空港を離れることにしました。



あの時は本当にやばかったな…。


見性はしても私はごく普通の人間であることをお伝えして、今晩はこの辺でお休みなさい。





多くの人に届きますように




Posted by Blog Ranking at 07:37