2007年08月12日
三昧
Aです。
今日は僕の思い出話を聞いてください。
ある日、方広寺の研修所ですごく早起きをした僕は、ふらふらと境内の坂道を上って、半僧坊殿の前まで来ていました。
そこから読経の声が聞こえてきます。
何人もの僧侶の声の中に、聞き覚えのある声があります。
そう、向和尚です。
好奇心にかられた僕は、こっそり彼らの後ろに回り、朝のお勤めの一部始終を見守っていました。
いくつものお経を読んでいるのですが、ただ読んでいるのではありません。
特に向和尚は100%の声で、全身全霊でお経を読んでいます。
身体全体がお経になったかのようです。
その状態を「三昧(ざんまい)」と言います。
それは、やっている行為に成りきるということです。
自分の行為をいつも客観的に見張っている、心の中の見張り人が消えて、ただただやっていいる行為に没頭するのです。
まるで小さな子供のようです。
僕たちは一日の中で、どれくらい成りきっている時間があるでしょうか。
向さんの読経する後ろ姿を眺めながら、そんなことを思いました。
これからもよろしくお願いします
↓

今日は僕の思い出話を聞いてください。
ある日、方広寺の研修所ですごく早起きをした僕は、ふらふらと境内の坂道を上って、半僧坊殿の前まで来ていました。
そこから読経の声が聞こえてきます。
何人もの僧侶の声の中に、聞き覚えのある声があります。
そう、向和尚です。
好奇心にかられた僕は、こっそり彼らの後ろに回り、朝のお勤めの一部始終を見守っていました。
いくつものお経を読んでいるのですが、ただ読んでいるのではありません。
特に向和尚は100%の声で、全身全霊でお経を読んでいます。
身体全体がお経になったかのようです。
その状態を「三昧(ざんまい)」と言います。
それは、やっている行為に成りきるということです。
自分の行為をいつも客観的に見張っている、心の中の見張り人が消えて、ただただやっていいる行為に没頭するのです。
まるで小さな子供のようです。
僕たちは一日の中で、どれくらい成りきっている時間があるでしょうか。
向さんの読経する後ろ姿を眺めながら、そんなことを思いました。
これからもよろしくお願いします
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