2007年08月08日

続・見性直後2(向和尚より)

しばらくして、西宮の禅会の通信参禅(坐禅をして、得た公案の答、心境を手紙で老師に伝え指導してもらうこと)で、老師から見性の体験を「詩」に表現するように言われました。


詩作の経験も才能もない私でしたが、当時の心境を次のように老師に示しました。



我が悲しみは 天地の悲しみなり
我が喜びは 天地の喜びなり
我は無なり 我は天地一杯の自己なり



ここにこうして書くのも気恥ずかしいような文句ですが、当時は学生運動で大学が大いに荒れた時代で、友人が学校を退学して土方になったり、デモで逮捕されたりと、多くの学生の心に「悲しみ」が広がっていたのだろうと思います。



友人から「禅坊主」と呼ばれるぐらい、禅にのめりこんでいた私でしたから、翌年の臘八大接心にも、友人3人と共に参加しました。




今度は、何の恐れもなく、「よぅし、又とことん坐ってやろう!」という勇猛心で接心にのぞみました。

やはり、三日目ぐらいで体の余分な力も抜け、スカーッとした心境で、禅定三昧を味わい楽しむことができました。




接心が終わって、老師からの学生へのご褒美だったのでしょう…別府の杉乃井ホテルの大浴場につれていってもらいました。


その時の風呂につかった時の心地よさは、忘れられません。

まるで、生まれ変わって初めての産湯につかった赤ん坊のような気分でした。



風呂からあがり、別府港の絶景を見渡せるベランダに立つと、快晴の青空を 輝く白雲が飛び、天地一杯にみなぎる浩然の気と一つになったのを思い出します。




以上が、私の見性体験ですが、次回はこれらの体験を振り返り、精神世界を究めていくうえで、皆さんにとっても私にとっても大切なヒントと思われることを明らかにしてみたいと思います。




・・・・・・・・・




向さん、ありがとうございました。

いままさに時代は、我々一人一人が見性体験をするべき方向に向かっていると思います。

これからもよろしくお願いします。





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