2007年08月09日
信頼(向和尚より)
「見性体験をふり返って」
このブログ【随(かんながら)神】のなかで、『信頼』ということと、禅の「公案」についてふれておられたので、先ずそのことについてお話しします。
おっしゃるとおり、禅の修行において『信頼』はとても大切です。
『信頼』という命のありようが禅だといっても良いでしょう。
私の場合、最初に出会った禅僧が、確かな宗教体験を基に、長年禅の伝統の中で鍛えあげてきた、老師(禅マスター)であったことが幸運でした。
老師は、参禅をはじめた学生の頃の私にとって、『信頼』ということを意識するまでもなく「そこに山がある」というような確固たる存在でした。
私が特に『信頼』ということを意識したのは、臘八大接心(一週間不眠不休で坐禅をする修行)の中でした。
とてつもない足の痛みや、
「こんなことして何になる?」
「これ以上続けると、気違いになるのでは?」
といった不安や心の葛藤を克服して、三昧を深め、突き進む力となったのが『信頼』です。
お釈迦様のお悟り、禅の伝統に間違いがあるはずはないという『絶対的信頼』、帰依の心が、三昧を深め自我の壁を打ち破る原動力となったのです。
ちょうど断崖絶壁から海に飛び込むような気合、決意です。
今考えると、この『信頼』は、それまでの幻想の自己を突破する徹底した自己信頼にほかなりません。
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やはり「信頼」がキーワードだったんですね。
「幻想の自己を突破する徹底した自己信頼」
そこまで徹底して真理を求めようとする意欲が、まずは必要なのかとも思いました。
そのためには、普段我々がエネルギーを投資している活動には、真理から見たときには、ほとんど意味も価値もないことを徹底して知ることなのかもしれませんね。
これからもご指導よろしくお願いします。
ありがとございました。
多くの人に届きますように
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Posted by Blog Ranking at 07:53