2007年08月16日

Aの独り言

仏教もキリスト教もイスラム教もユダヤ教もヒンズー教も、その他多くの宗教も、みんなそれぞれに真理を内包していると思います。


そこに描かれているのは真理そのものであったり、真理を達成した人たちの言葉だったりします。


その人の存在が、あまりに突出し、常人の想像を超えた知性を発揮したために、後世の人たちが宗教を作り上げたのでしょう。




僕はそこにいつも疑問を持っています。



真理を達成した人は、誰に向かってその話をしたのか。

それは目の前のその人です。


目の前のその人がどのようなレベルで、どのような性格で、どのような援助を必要としているか瞬時に見抜いて言葉を発したことでしょう。

わかりやすい簡単な例で言えば、もし目の前のその人が、おっちょこちょいで軽率な行動ばかりしていれば「よく考えてから行動しなさい」と言うでしょうし、反対に考えるばかりでなかなか行動できない人には「考える前に行動しなさい」とアドバイスしたのではないでしょうか。



宗教は真理に触れていくガイドではありますが、同時にとても危険な存在でもあります。


ヒンズー教の最も古い聖典である「ヴェーダ」には、動物だけでなく人間も神への捧げ者として生贄にしろとあります。

その言葉がどのような背景で、どのような比喩で語られたかは知りませんが、そのことで多くの罪無き人々が殺されてきました。



イスラム教では4人の妻を持つ事が認められています。

モハメッドのような人の口から出る言葉はすべて真実なのに、何故彼はそのように言ったのでしょう。


それはその時代、周囲との戦争が絶える事がなく、成人男子の数が女子の4分の1しかいなかったためです。

社会のバランスをとるためには必要なことでした。


その言葉を偉大な預言者の言葉として頑なに守り、現在でも経済的余裕のある人は4人の妻をめとります。


その結果、結婚できない多くの貧しい人たちが出現します。


そのやり方に異を唱える者がいれば、不信心者というわけです。




このような傾向は仏教やキリスト教でも見受けられます。



言葉を鵜呑みにしない。

宗教に依存しない。


信心深い人の落とし穴は、自分の判断よりも宗教の教えを優先することだと思います。



例外としては、マスターの教えに帰依する事が覚醒の早道の時もあります。

ただしそれは、一対一の関係の中だけで起きることです。



一般的には、どのような権威ある伝統も発言も、単なるガイドにすぎないことを忘れないでいたいものです。






これからも応援よろしくお願いします




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