2007年08月20日

正しい歴史観

夏になるといつも戦争のことを思い出します。


歴史に「もしも」はありませんが、もし戦争が起きなければ、僕もあなたも生まれていなかったか、違う形で生を受けていたでしょう。

なにか少し変わるだけで全部が変わってきますから、戦争があったかなかったかのような大きな違いは、ことの全体をまったく変えてしまったことでしょう。


そう考えれば、僕たちの存在に繋がった戦争というものが何故起きたのか、いったいあの戦争は何だったのかを考えることはとても大切だと思います。



僕は無学な人間ですが、今述べたような理由から昭和史に興味を持ち自分なりに広く学んできました。

およそ手に入る文献を読みあさり、こと細かく戦争に至った経緯を調べてみました。

なるべく偏ることがないように、様々な立場の証言にも触れてきました。

そして至った結論があります。


それは今この国が持つ歴史観が、その歴史を大きく歪曲したものであり、それは戦争被害のなかでも最も大きなものと言わざるを得ないということです。

なぜならばそれは日本人の魂を殺し、自らを卑下するような風潮を生み、さらにはその退廃的な後遺症が子々孫々にわたって受け継がれているからです。



これからの時代に日本が世界に果たすべき役割は極めて大きいにもかかわらず、本来持っている資質が十分に生かされていないのは、そのような国民的ムードがあるからだと思います。


僕は自分なりの歴史観を述べなくてはと感じています。

この試みが、一人一人が自分の目で自分の耳で、もう一度あの戦争について考える機会につながればと思います。

それが、命を落とされた多くの人たちや、その遺族に対する僕たちの最低の義務だと考えます。


ここまでの記事を読んだ男性からメールを頂きました。

このような意見を持った人もいるかと思うので匿名で紹介します。


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今、私は22歳です。

戦争はもちろん体験していません。

ただ、今「正しい」歴史観は必要でしょうか?

そして、何をもって、どちらから見た場合の「正しさ」なのでしょうか。

戦争によって命を落としたのは何も日本人だけじゃありません。

そもそも、戦争に正義なんてものを持ち込むから、その正義、正しさのために人が死ぬんじゃないでしょうか。

もうどっちが悪いって言うのはやめるべきでしょう。

どっちもどっちでしょう。40対60なら40側は悪くないわけじゃないですし。

何より、それを教訓とし、未来に向けて私たち、そして相手方とどんな関係が理想かを考えて、一歩づつ進んでいくしかないでしょう。


お互いに認め、常にこちらから許す姿勢が大事でしょう。



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このような考え方は僕の中にもありましたし、戦後の社会を覆ってきた大方のムードのようにも思います。

だからといって、そこで思考停止してしまうことが、相手国との良好な関係を築く道だとは思いません。


ひとつだけ言葉の真意が伝わらなかった点を指摘しておきます。


正しい歴史観とは、正しさ、正義のことではありません。

事実ではないことや、誤謬に基づく誤った見解を正そうということです。


正しい歴史観は必要です。

それなくして、どんなナショナリズムを語るというのでしょう。


最終的な理想は、地球規模の統一政府を作り、その中で異民族、異文化が、互いを認め合い、尊重しあいながら、地球や自然と共生していくことだと思います。

そんな世界に貢献するためにも、我々が勇気を持って見つめていかなければならない事がたくさんあると思います。



司馬遼太郎さんが亡くなる前に、「この国はもう手遅れだ」と仰っていました。

僕は、そうかもしれないし、そうでないかもしれないと思っています。

たとえ手遅れだとしても、気概を持った大人が自分のできる範囲で責任を果たしていくのは次世代のためにも必要だと考えます。



この国がここまで人心荒廃の淵に陥ってしまったのは、やはり昭和の敗戦ショックが大きいと思います。

特にその戦後処理と、戦後教育のありかたは、敗戦という事実以上に致命的だったと思います。


先ごろ、久間元防衛大臣が「原爆のおかげで戦争が終わったのだからあれは仕方なかった」との趣旨の発言をし、即刻退任という事態が起きました。

退任は当然のことで、昔ならば切腹ものです。

マスコミ各社は久間氏に対し、原爆を投下された被害者感情を逆なでした罪と、唯一の被爆国の責任ある立場の人間として許せないという観点で糾弾しました。

もちろんそれもそうですが、もっと大きな問題が見落とされています。


それは「原爆投下は戦争終結のために必要だった」と言うのはアメリカ側の言い分であって、現実はもっと複雑だからです。

アメリカにとって広島と長崎への、「ウラン濃縮型爆弾」と「プルトニウム型爆弾」の2種類の原爆投下は、戦後のアメリカ主導の世界を作るために、ぜひとも必要でした。

生きた人間の上に落とすことで、その実際の効果を、戦後に予想される仮想敵国ソ連に見せつけることができます。

世界戦略上、もっとも効果的な手段でした。


だからこそ種類を変えて2回にわたり、予告も警告もなしに突然投下したのです。

しかも数十万人が暮らす大都市の上にです。

もし本当に戦争終結だけが目的であれば、敗戦が決定的だった日本に対し、もっと知的なアプローチがあったはずです。


このような点からも、アメリカの言い分を正当化するような久間発言は、あまりにも軽率だったと言わざるを得ません。

日本はアメリカに対し、徹底的に抗議しなければいけないのです。


広島の原爆慰霊碑には、「二度と同じ過ちは繰り返しません」と書かれています。

今の日本の態度を見れば、まるで日本が戦争をしたから原爆が落とされても仕方がなかったかのように受け取れます。

本当に犠牲者に誓うのであれば、もっと責任を持って、原爆を投下した当事者に毅然とした態度で臨まなくてはいけません。

二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、犠牲者のためにも、断じて謝罪を求めるべきです。

それを毎年、自らの戦争責任によってのみ慰霊しようとするのは片手落ちです。


60年以上経った今も、アメリカからは謝罪も反省もありません。

アメリカはいつもジョンウェインの西部劇のように正しいのです。


著しく人道に反し、国際条約にも違反するこのような行為を日本に対して行えた背景には、いくつかの理由があったと思います。

ひとつは、有色人種への根深い人種差別です。

原爆投下を最終決断したトルーマン大統領は、「有色人種(日本人)は白人ほどには痛みを感じないから」と平然と言い放ち、実に18発もの原爆投下を容認していました。


もうひとつの理由は、そのような劣等人種である有色人種が、こともあろうに自分達に真っ向から戦いを挑んできたことに対する脅威です。

植民地がふさわしい有色人種たちへの見せしめのためにも、徹底的にやっつけておく必要がありました。


大東亜戦争(あえてそう呼びます)が起きた歴史的背景には、欧米の植民地政策と、有色人種への徹底した差別意識があったことを忘れてはいけません。

戦後の催眠状態から目覚めて、すみやかに国としての尊厳を取り戻す時が来ています。

戦争は悪だという意見や、自らを卑下する謝罪外交だけでは、現実の国際社会に貢献することはできないのです。



さて次は、近隣諸国との関係です。

外交とは国規模の巨大なエゴが、手段を選ばすにあの手この手で利益を追求してくる場です。

相手を意のままにしようとするときに最も効果的なのは、相手に罪悪感を与え、自らが被害者の立場に立つことです。

これは個人のレベルでも同じことです。

「許すも許さないも私次第だ」

そうやって相手をコントロールする力を得るのです。

そのような基本を見ずして、悪かった悪かったと謝罪を繰り返すだけの土下座外交によって、何かがよくなったのであればいいのですが、事はますます悪化しています。


最近起きた米下院での従軍慰安婦非難決議はその最たるものだと思います

彼らがどれくらい事実関係を調べ上げて決議に至ったのか、疑問を呈する声も上がっています。

この決議の動機が純粋な正義感ではなく、様々な利害が絡んでいるというのは、少しばかりの知識があればわかることです。

このような決議を、国内の新聞はこれ見よがしに大見出しで報じます。

それがいまの日本です。


たしかに慰安婦が存在したのは事実です。

これは残念ながら人間の(男の)闇の部分で、あらゆる国の軍隊が抱えてきた問題です。

もし慰安婦がいなければ、どんな規律違反が発生するか分かりません。

その必要性まで認めないという偽善者はいないと思います。

問題は、慰安婦を強制的に奴隷のようにして、軍ぐるみで(国ぐるみで)誘拐や拉致によって集めたのかという点です。

それが事実だったかどうか、ぜひみなさんで検証してみてください。

いまはネットでも簡単に多くの資料を見る事ができます。

両者の言い分や証拠をよく吟味して、自分の目で判断して欲しいと思います。


僕が危惧するのは、そのような検証をすることさえ、日本の悪事を誤魔化そうとしているという非難が飛んでくる風潮です。

今までのように、何でも無条件に認めて、何でも謝罪するというやりかたは限界に来ています。

我々国民が事実を検証し、違うものは違うと主張する勇気は、この国の将来にとって必要なのではないでしょうか。




ここまで読んでくれた向和尚から、寄稿をいただいたのでご紹介します。



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赤ん坊の心は、言葉による区分(分別)を知らず、自我意識による汚れもない根元的な純粋生命ですから、天地と一体の悟りの境地にあると言えます。


ただブッダや、達磨大師、臨済禅師といった祖師は、同じ純粋生命を生きながら、人格の完成に至り、もっぱら慈悲心をもって言葉を慈悲・利他のために、正しく使うことができました。


赤ん坊が芽をだしたばかりの花の種とすると、ブッダや祖師は純粋生命そのままに成長した見事に咲いた大輪の花といえます。


見性(悟り)とは、自分が花の種(仏性)を宿していたことに気づくことですから、初関を通ってからも「悟後の修行」と言って、人格完成の道は生涯続くことになります。


つまり、見性とは、知らぬ間に言葉による思いを先立てて「転倒夢想」と逆さまに生きていたのが、本来の大地に降りたったということであり、そこから大地を踏みしめて歩く創造的な人生がはじまるのです。


社会にあって禅的に生きるということは、勝手にあれこれ思い判断したり識者の言うことをうのみするのではなく、現場に出かけてリアルな事実そのものの声に耳を傾けることです。


私たちは、自分で確かめもしないのに知っているつもりの先入観で、物事を判断していることがよくあります。


英語で先入観のことをPREJUDICE(プレジュディス)といいますが、PREは「前もって」、JUDICEは「判断」を意味します。

事実を知りもしないのに、借り物の知識で判断してしまうことです。


奥州の自然のなかに溶けこむようにして行脚し、無心の境地から素晴らしい俳句を創出した松尾芭蕉は、「松のことは松にならえ」と言いました。


芭蕉が松にならえと言ったように、現実社会にあっても虚心にリアルな事実そのものにならい、その声に耳を傾けることから正しい判断、認識がうまれるのです。


私も原爆投下については、アメリカに謝罪させるべきだと思います。

私は個人的に、原爆投下や沖縄戦線の悲惨さを忘れてはならないと思い、毎朝の読経のあとの回向で、亡くなった人々を思い冥福を祈ることにしています。

このことは、私自身が歴史社会において正しく生きていくために不可欠の行為だと思っています。


物事を正しく判断するためには、阿部さんが言うように「自ら事実を検証」することです。

仏教では「如実知見」といって、事実を事実としてあるがままに、ものの真実の相を正しく見極めることです。


試しに、手元にあった高校の教科書の世界史、日本史の原爆投下のところを見てみましたが、「広島で20万人以上の市民の生命が奪われた」とあるぐらいで、まるでよその国に投下されたかのような、わずか数行の淡々とした記述で終わっています。


アメリカの原爆投下が、人類が初めて核兵器を使用して行った大量無差別殺戮(さつりく)であり、非人道的で明らかに国際法違反の行為であることについては何の記述もありません。


さらに、世界史の教科書のアメリカの歴史を見てみますと、「アメリカ大陸の発展」、「西部開拓」の見出しで、自由・平等の精神をもって開拓が進められたとあっても、先住民のインディアンのことについては、ほとんど記述がありません。



たまたまインターネットで見つけた先住民の酋長の言葉を紹介します。


人は皆、同じようにあつかいなさい。

人には皆、同じ法を与えなさい。

人が皆、生きて栄えられるように平等の機会を与えてやりなさい。

全ての人は、同じグレート・スピリットという酋長から生命を与えられた。

人は皆、兄弟なんだ。

大地は全ての人々の母親であり、大地の上では皆同じ権利をもってる。

自由に生きる人として生を受けた者を、狭い土地に閉じ込め、行きたいところへ行く自由を奪っておいて、そんな暮らしに満足しろというのは、川の水を逆流させようとするのと同じだ。
            

ジョセフ酋長(ネス・バース族)



このように、私たちが知らされている歴史とは、常に勝利者を正当化し美化する歴史なのです。


勝者の歴史がすべて誤りだというのではありません。


勝者の陰で忘れ去られようとする敗者の声にも耳を傾け、勝者の英雄物語に隠された悲惨な事実をも直視することが、正しい歴史認識を形成するうえで不可欠であると思うのです。




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次に、最も重要だと思われるポイントを指摘したいと思います。

それは戦後の日本に大きな影響を与えた「極東国際軍事裁判」いわゆる東京裁判です。


この裁判こそが、戦後の日本の位置づけを決定的にしました。

そして我々はそれを疑うこともせず、日本は悪い事をした、我々はちょっと油断すると大変な残虐性と悪意を発揮する民族だともいうような、そんな自虐的歴史観が蔓延してきました。

そのことに異を唱えようものなら、「右翼」「軍国主義者」のレッテルを貼られてきました。


戦勝国が事後法によって敗戦国を裁いたあの裁判を、しっかりと検証しなければいけません。

そしてA級戦犯とは何なのか、せめてそれくらいの正確な知識を持たなければならないと思います。


「A級戦犯=最も悪い事をした戦争犯罪者」というイメージからしか見た事がない人も多いのではないでしょうか。

それは間違っています。

A級戦犯の定義については、後半で説明します。


責任者を特定して、誰かを人身御供のようにしたて、彼らに責任を負わせて事なきを得るという考えであれば、A級戦犯にされた彼らがその役を担ってくれているのでしょう。

しかし、それこそ浅ましい考え方だと思います。


2・26事件などの影響で、軍内部の優秀な人材が粛清されて、東条英機氏のような、やや狭量な性格の人をトップに据えなければならなかっためぐり合わせはありました。

だからといって、東条氏が犯罪者かどうかは別の話です。


戦後いかに我々がイメージで物事を判断していたかを反省し、それぞれが自分の力で事実を検証していくことが、唯一の突破口のように思います。

ぜひ戦後の我々を覆ってきた誤ったムードを吹き飛ばして、正確な歴史を学ぶ努力をお願いします。

それこそが、戦没者への慰霊に繋がり、これからの平和な世の中を作り出していく礎になると信じます。


これらの文章だけを読めば、まるで僕が軍国主義者のように感じるかもしれませんが、長年ブログを読んできてくれた人は、僕がそのような思想の持ち主ではないことが分かると思います。

一旦信じてしまった常識や、ものの見方、判断基準は、なかなか変える事ができません。

でもせめて、もう一度中立的な立場から歴史を見て考えてもらえるような、そんなきっかけになれたらと願い書いています。

戦後の歴史観を再検証するのは、これからの日本にとって極めて重要なことです。


戦後作られたドラマや映画の中に、戦争が始まったときのことを描いたシーンがよく出てきます。

ラジオから「大本営発表・・・」の声が聞こえてきます。

その放送を聴いた善良な市民である主人公は、暗い顔をしたり、困った顔をしたり、内心は戦争反対だというような立場をとったりします。

しかし軍の圧力で、そのような態度は非国民とされ、戦争は反対にもかかわらず、主人公家族は健気にも困難な時代を生き抜いて行く・・・そんな感じのものが多いですよね。


でも、それは嘘です。

真珠湾攻撃の戦果に国中が沸き立ち、理不尽な西欧諸国に対して神軍が立ち上がったことにみな歓喜したのです。

元々日本人が好戦的だったわけではありませんが、当時の大方のムードはそうだったのです。

そこには戦争を煽るかのような大新聞の影響もあったでしょうが、当時日本を取り巻く環境や現実は、戦争という最終手段しか残されていなかったのもまた事実です。


それが歴史というものです。

後世になって、後世の価値観で、当時を判断したり裁いたりすることはできません。

もし自分がその時代に生きていれば、やはり同じように考え、それが正しいことだと疑わなかったことでしょう。


しかし、始めた戦争はあまりにも悲惨なものでした。

国中が、そして国中の人々の心が打ちのめされました。


戦争前、腐敗した政党政治に見切りをつけ軍部に期待を寄せた国民は、戦後は軍部の責任を追及する立場に変わりました。

そこに東京裁判があり、GHQ(進駐軍司令部)からのプロバガンダがありました。

そしてA級戦犯という聞きなれない言葉が出現しました。


東条英機ら28人がA級戦犯とされました。

そこには戦後首相になる岸信介も入っていました。

東条内閣の商工大臣だったからです。


A級戦犯の選別基準は非常にあいまいなものでした。

そもそも国の指導部に戦犯など存在しなかったからです。

しかし戦犯がいるという考え方は、やり場のない絶望感の中にいた当時の国民感情にも一致しました。

自分達は軍部に騙されていた・・・せめてそのように考えることしか、戦争が招いた悲惨な結果を受け止める事ができなかったのでしょう。


もちろん戦争中は、勝つ事を最優先するために戦意高揚の政策が採られ、都合の悪い事実はすべて検閲によって排除されました。

しかし戦争そのものは、一般に信じられているような軍首脳部たちの暴走でもなければ、共同謀議でもなかったのです。

戦争責任を一部の人間の思い上がりや、知性の欠如だとするのは、あまりにも短絡的です。


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多くの激励メールありがとうございます。

いまの現状に危機感を持たれている方がたくさんいることがわかりました。


これを読んだ人が、今まであたりまえのように思っていた太平洋戦争に対する認識を、もう一度中立的に見直すきっかけになればと願っています。



20代のころ、何故戦争が起きたのかを自分なりに知りたいと思い、昭和史が書かれた本や資料を集めました。


そこで読んだ日本兵による民間人への残虐行為の数々。

ここに書くこともできないような、猟奇的ともいえる犯罪の数々。


大新聞から報道される、日本の戦争犯罪と、それに対する日本人の傲慢さと、善良なる近隣諸国の人々の蛮国日本への怒り。


僕は自分に言い聞かせました。

「戦争という極限状態が日本兵を狂わせたのだ」

それにしても中国やアメリカの兵士は、紳士的で人道的な人たちばかりなのに、何故日本兵だけが・・・?

僕は読んだ多くの資料が示す内容を、どのように受け止めていいのか戸惑いましたが、結局は、日本人の血の中には、そのような残虐性が隠されているに違いないという結論に達しました。

だから子々孫々にわたって、詫び続けなければならない、それが日本に生まれた宿命だとさえ思っていました。


しかしいろいろと調べるうちに、奇妙なことに気がつきました。


日本軍の軍紀(風紀、規律)が、諸外国以上に徹底していたことです。

たとえば強姦や略奪を犯すと、将校は一兵卒に格下げされ、一兵卒にも重い罰が下されました。

しかもそのような事件は本国に通達され、本国はそれを兵士の地元に伝え、地元はそれを市民に公開するという処置が取られました。


お国のためにと日の丸を振って見送ってくれた地元に、そのような事が伝わることは、この上もない恥だったことでしょう。

日本のように村社会で村八分にされたり、国賊の汚名を着せられたりすることは、何よりも耐え難いことだったはずです。

残した家族が受ける仕打ちを考えた時、そのような行為が多発したとは考えにくいと思いました。


平時にも罪を犯す人間がいるので、戦争中もそのような者がいたことでしょう。

しかし、それが日本兵に特に多かったというのは本当でしょうか。


いまでも国内で、一家皆殺しのような猟奇的殺人事件が起きると、国民の多くは、外国人の犯罪ではと考える傾向があります。

そうでないこともありますが、そのように考える傾向は、外国人に比べ、ことさら日本人が残虐性を持った民族でない事を心のどこかで知っているからではないでしょうか。


そんな疑問がきっかけで、南京事件や従軍慰安婦問題などを調べていくと、それらの事実を示す根拠が極めて疑わしいことがわかりました。

にもかかわらず、政治家が南京事件の真偽を口にしただけで失脚させられてしまうこの現実は、いったい誰が作り出したのでしょうか。


次の時代を担う若者達のためにも、正しく歴史を見直す時に来ていると、重ね重ね思うのです。


何度も言いますが、一度信じてしまった印象はなかなか消えるものではありません。

したがって今日のこの内容にも、違和感を持ったり、僕の一方的な見方のように感じる人もいるかもしれません。


でもこのようなことを話すのに、僕は適任だと思っています。

僕は政治への主張も、イデオロギーも、持ち合わせていないからです。

しかもブログを通じて、何度も真の平和を訴えてきました。


そんな男が今のこの国の現状に危機感を持ったのです。

この先、地球規模の貢献をしていくべき若い人たちにも、日本人であることの誇りを取り戻させてあげたい。


そんな想いから、あえて反感を承知で発言することにしました。


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戦争中、日本を守って自らの命を投げ出した人たちの合言葉は

「靖国で会おう」

「靖国に奉られて、後世の人たちから弔ってもらえる」


本来なら僕たち全員が感謝の気持ちを込めて参拝すべきなのですが、それができないから代表者たる内閣総理大臣が終戦記念日に参拝する、こんなあたりまえのことが許されないのがこの国です。

世界各国で、自分の国を守って死んだ人を参拝できない国は、日本くらいでしょう。


何故できないんでしょうか。

それは近隣諸国が外交問題にまで発展させて反対するからです。


何故反対するのでしょう。

それはA級戦犯と呼ばれる人たちが奉られているからだと言います。


じゃ、A級戦犯って何でしょうか。


そのためにはまずは戦犯の定義から見てみましょう。

そもそも戦時国際法で定められた戦争犯罪といえば、代表的なのは、民間人への殺戮とか、核爆弾のような残酷な兵器の使用とか、民家や民間施設などへの無差別攻撃です。

あれ?これって全部、アメリカが日本にやったことですよね。


その他の戦争犯罪には捕虜の虐待があります。

これも外国に比べて日本の対応が著しく悪かったかといえば、そうではありません。

しかし、B・C級戦犯の多くはこの罪で、裁判らしい裁判もなく1000人以上が死刑になっています。


A級、B級、C級というのは罪の重さではありません。

これはGHQ(進駐軍司令部)が東京裁判のために臨時で編み出したカテゴリーです。


Aは国家指導者

Bは現場指導者(隊長クラス)

Cは兵隊です。


A級戦犯は、先ほど挙げた戦時国際法違反を部下に指示したという罪や、共同謀議によって戦争を引き起こした開戦責任(なんだそりゃ?)などによって犯罪者になりました。

でも日本に共同謀議はありえません。

満州事変以降、戦前、戦中にかけて、内閣は十数回も変わり、そのたびに様々な対立意見が交わされ、国の方策を決めるのも容易ではなかったからです。


真珠湾への先制攻撃によって、日本が開戦を望んだかのように伝えられていますが、それも間違いです。

日本はアメリカと戦う意思はありませんでした。

圧倒的な国力の差を知らないほどバカではないのです。


譲歩に譲歩を重ね、最後の最後まで、近衛文麿首相はアメリカにトップ会談を申し入れましたが、ことごとく断られ、近衛内閣は総辞職します。

日本は戦争という最終手段しか残されないような窮地に追い込まれていきました。


そして、もしもの戦時に対応できるようにと東条内閣が組閣されます。

しかしこのような国家の非常時に、内閣入りを自ら希望する人はいません。

東条英機も含めて、自分の意思ではなく国のためにその責任を引き受けたのです。


その結果、日本は敗れ、彼らはA級戦犯に指定されました。


A級戦犯が犯したのが戦時国際法違反ではないとしたら、彼らの罪は何でしょう。

もし戦争に勝っていれば罪に問われないのだとしたら、一つ考えられるのは敗戦責任です。

しかしこれは、戦勝国が裁くべきことではなく、敗戦国自らが裁くことです。


したがってA級戦犯など存在しないことになります。


GHQが日本統治をやりやすくするために、いかに日本軍部や国家によって民衆が騙されていたかの宣伝に利用したのが東京裁判です。

本来裁判は中立国の判事によって裁かれなければいけませんが、その判事はすべてマッカーサーの指示の元に集まった家来達でした。

しかも国際法の専門家はたった一人だけです。

それが有名なインドのパール判事です。

彼は当然、全員無罪を主張しましたが、その判決文は抹消されました。

この裁判を作り出したマッカーサー本人でさえ、その数年後に東京裁判は間違いだったことを認めています。


首相の靖国参拝に反対する近隣諸国が、このような経緯をどれだけ知っているのでしょうか。

もし知っているのだとしたら、あきらかに反日政策に利用しているに過ぎません。


そもそも僕の記憶では、大平内閣のころは平気で総理が靖国参拝をしていました。

大平さんは敬虔なクリスチャンだったので、へえ、靖国って宗教を超えているんだって思ったのをよく覚えています。


中曽根総理も参拝していたけど、いまほどうるさくありませんでした。


じゃ、どうして今のようになっていったかと言うと、実は外圧じゃなくて国内からの声だったんです。

左派勢力が言い出して、それを大新聞やテレビマスコミが煽り、それを見た近隣諸国がその動きに便乗してきたんです。


日本は本当に理解に苦しむ国です。

何のために、自分で自分の首を絞めるのか。


この国はもう手遅れでしょうか。

いえ、まだここからがスタートです。