2007年11月26日
土地との因縁 2
それから17年ほど経ちました。
僕は27歳になり、すでに東京で仕事をしていました。
当時は小田急線の百合丘というところに住んでいたのですが、仕事も忙しくなりもっと都心に暮らそうと、家を探しました。
両親も一緒に暮らしていたので、大きめの家が必要だったのですが、三軒茶屋駅から歩いて7分くらいの所に、ちょうどいい一軒家がありました。
その町名が偶然にも下馬でした。
でも下馬2丁目だったので、それほどの感動はありませんでした。
ところが引越しが終わって数日した時、駅とは反対側はどんな街並みなのか、何気なく散策に出かけたら、あまりのことに驚きました。
あの少年の日の思い出の一角が、すぐ目の前に広がっていたのです。
歩いてわずか1分の場所だったのに、下見に来た時も、引越しの時も、反対側からだったのでまったく気づかなかったのです。
自転車屋さん、蕎麦屋さん、銭湯、ケーキ屋さん、そして世田谷観音・・・
町の風景は当時のままでした。
その時の驚きは、ちょうどドラえもんの「どこでもドア」を開けて、少年の日のあの思い出の場所にタイムスリップしたかのようでした。
つづく
応援よろしくお願いします。
↓

僕は27歳になり、すでに東京で仕事をしていました。
当時は小田急線の百合丘というところに住んでいたのですが、仕事も忙しくなりもっと都心に暮らそうと、家を探しました。
両親も一緒に暮らしていたので、大きめの家が必要だったのですが、三軒茶屋駅から歩いて7分くらいの所に、ちょうどいい一軒家がありました。
その町名が偶然にも下馬でした。
でも下馬2丁目だったので、それほどの感動はありませんでした。
ところが引越しが終わって数日した時、駅とは反対側はどんな街並みなのか、何気なく散策に出かけたら、あまりのことに驚きました。
あの少年の日の思い出の一角が、すぐ目の前に広がっていたのです。
歩いてわずか1分の場所だったのに、下見に来た時も、引越しの時も、反対側からだったのでまったく気づかなかったのです。
自転車屋さん、蕎麦屋さん、銭湯、ケーキ屋さん、そして世田谷観音・・・
町の風景は当時のままでした。
その時の驚きは、ちょうどドラえもんの「どこでもドア」を開けて、少年の日のあの思い出の場所にタイムスリップしたかのようでした。
つづく
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