2008年01月20日

神の怒り

欲望にもいろいろありますが、一番手に負えないのが性に関するものじゃないでしょうか。

そして一番厳しくチェックするのもそこのような気がします。



たとえば聖者といわれる人がいて、その人が美食家で、おいしい料理を堪能しているとしても、人はそれほど大きな抵抗を感じません。

それが同じ美食家でも女性を食べる美食家で、奇麗な女性を堪能していたら、それは聖者の名をかたる不届き者ということになるでしょう。



僕たちは食欲には寛大ですが、性欲には厳しい傾向にあります。

それはおそらく、自分の中でその衝動を抑圧してきているので、その反動で相手を判断したり責めたりするのだと思います。



悟った高僧は性欲が消えるのでしょうか。


どうやら、そうではなさそうです。


それはそれ、人間の自然な欲求として最後まで残るようです。


もし異性に興味を示さない宗教家がいたとしたら、同性に興味があるか、よほどの力で自分を押さえつけているのでしょう。




そもそも性への欲求を無くすべきだという考えそのものが、不自然で不可能な欲求のように思うのです。

そこにはすでに、性というものに対する判断が入りこんでいます。



歴史的に見ても、僧院や修道院などで、どれほど多くの人たちが神の名のもとに苦しんできたことでしょう。

神の怒りをかわないように、自分を抑制してきたのです。



神は人間が自然な欲求を持つことを快しとしなかったのでしょうか。

ではなぜわざわざそのように人間を作り出しておいて、それを禁じるのでしょうか。


いえいえ、それらは全部人間が考えたことで、神は何も関知していません。


もし人が何かの過ちを犯して神が怒るとしたら、その神はずいぶんと心の狭いお方だと思います。

その現実に対して神がどのような自分を選ぶのか、もし神が不幸せな怒りという体験を選ぶのなら、勝手に怒らせておけばいいと思います。


僕が知る神は、限りなくやさしく、僕たちの過ち(実際にはそんなものはそんざいしませんが)も忍耐強く見守ってくれています。



何度か僕なりに神を感じた瞬間がありましたが、それはそれは優しい波動でした。


決して怒らないもの。

決して罰しないもの。



それが神だと思います。





この情報が多くの人に届きますように。

ご協力よろしくお願いします。




神の怒り



Posted by Blog Ranking at 10:59