2008年02月28日

おぼしめすまま

さて、そのジャハンとアートマラマという2人の男性から、40日後に昌吉のインドツアーがあるのだけど、一緒に行かないか誘われます。

昌吉さんからも声をかけてもらうのですが、その時の僕には非現実的な話でした。


この4ヶ月間の神社へのご奉公は無報酬であり、まったく後先を考えずに飛びこんだ天河生活でしたので、インドへ行くどころか、東京に帰ってからの仕事も生活も、どうしたらいいものか途方に暮れる状態でした。



でも心の底では、人生は神との共同作業で作り出しているという確信があったので、もし何かの仕事にありつけばそれでよし、なければないでそれもよしという心境でした。


もしこのまま、人からも運からも見放されて、どこかで野垂れ死にするようなことがあったとしても、それも天の計らいであり、そこにはきっと自分に必要な要素がたくさん含まれているので、甘んじてそれを受けようと思っていました。




その気持ちは今もまったく変わっていません。

おぼしめすまま・・・流れのままに・・・かんながら・・・・




天河に来る前に徹底的に感じた宇宙意識。

この世には「自分」など存在せず、全ては神の計らいであり、起きる時に起きることが起きている。

そしてそこには何ひとつ無駄がない。


さらにその経験を背景にして、「この身体と命を、あなたのおぼしめすままお使いください」と新しい神殿の前で祈った瞬間から、すでに僕の人生は、僕一人のものではなくなっていました。

その時、神殿の前で、言葉にできない確心と理屈を超えた手ごたえがあったからです。


この祈りは、天への絶対的な信頼をさらに強固なものにしますが、たとえこのような経験がなくても、全ての人は等しく神との共同作業で人生を歩んでいて、その人生に起きることに何一つ偶然はなく、何一つ無駄がないことを僕は知っています。



そんな気持ちを抱えて、ほとんど無一文の状態で東京に帰りました。


そしてそこから、奇跡が連続して起こるような形で、今の僕があるのですが、その話はまた明日させてもらいます。






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おぼしめすまま



Posted by Blog Ranking at 08:28