2008年03月06日
ラジニーシ・アシュラム
こうやって赤裸々に自分自身のことを書いていると、どこまで言っていいのか戸惑うこともあります。
でも実際に自分が考え、自分が選んだ人生ですから、誰に恥じることなく、そして誰の評価を気にすることなく、ありのままを書くのがいいのでしょう。
少なくとも美しいフィクションより、粗雑でも事実のほうが意味があると思うからです。
僕がバグワンに傾倒した話はしました。
彼の書物(実際には講話記録)は今読んでみても、その言葉の使い方や流れは芸術的で、無駄がなく、真理から一歩もずれていません。
まさに「知の巨人」です。
世界中から多くの人が、生前の彼を慕って集まってきました。
物語に出てくるのはインドのプーナ市ですが、一時はアメリカのオレゴンにもいた時期があります。
日本にもラジニーシ・アシュラムという道場が各地に生まれ、目黒区の大岡山はその中心的存在でした。
さて、僕自身、最初の洞察を得てからというもの、同じような気づきをした仲間を求めて、さまざまなスピリチュアル道場に興味を持ち顔を出しました。
前にも書きましたが、その候補の一つには「オーム神仙の会」もありました。
彼らの入会案内のパンフを広げた時、すでに弟子になっていた人たちの顔写真が載っていて、その筆頭に新実某の何とも言えない嫌な笑顔があったので、本能的にそこは避けました。
このような男の弟分になるのはまっぴらだと思ったからです。
今考えてみれば、かなり危うい時代でした。
そんな僕が大岡山にあったバグワンの道場に通いだした時期があったのです。
天河に行く、さらに5年前の、昭和59年のことです。

でも実際に自分が考え、自分が選んだ人生ですから、誰に恥じることなく、そして誰の評価を気にすることなく、ありのままを書くのがいいのでしょう。
少なくとも美しいフィクションより、粗雑でも事実のほうが意味があると思うからです。
僕がバグワンに傾倒した話はしました。
彼の書物(実際には講話記録)は今読んでみても、その言葉の使い方や流れは芸術的で、無駄がなく、真理から一歩もずれていません。
まさに「知の巨人」です。
世界中から多くの人が、生前の彼を慕って集まってきました。
物語に出てくるのはインドのプーナ市ですが、一時はアメリカのオレゴンにもいた時期があります。
日本にもラジニーシ・アシュラムという道場が各地に生まれ、目黒区の大岡山はその中心的存在でした。
さて、僕自身、最初の洞察を得てからというもの、同じような気づきをした仲間を求めて、さまざまなスピリチュアル道場に興味を持ち顔を出しました。
前にも書きましたが、その候補の一つには「オーム神仙の会」もありました。
彼らの入会案内のパンフを広げた時、すでに弟子になっていた人たちの顔写真が載っていて、その筆頭に新実某の何とも言えない嫌な笑顔があったので、本能的にそこは避けました。
このような男の弟分になるのはまっぴらだと思ったからです。
今考えてみれば、かなり危うい時代でした。
そんな僕が大岡山にあったバグワンの道場に通いだした時期があったのです。
天河に行く、さらに5年前の、昭和59年のことです。


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