2008年05月27日
不思議
神殿の前に額ずきながら、何度となく思いました
「神様ってなんだろう」
できたばかりの神殿に漂うヒノキの香り、あたり一面に充満する神秘的な空気感、うっそうとした森の中に発生するマイナスイオン、そのような環境の中で神聖な気持ちを持つことは容易いことでしたが、実際に目の前の御扉の中に「神様」がいるのかどうかは、確信が持てませんでした。
「そんなものがいるはずがないじゃないか」
理性はそう言います。
だとしたら、いるかいないかの確信が持てないのではなく、いないという確信が持てるはずです。
でも持てないのです。
もしかしたら本当にいるのかもしれないという気になるのです。
もし、神殿に祭られた神が単なる偶像で、ただ人間が勝手に崇めているだけの迷信だとしたら、人間はずいぶんと手間暇をかけて、そのような形式に惑わされてきたことになります。
「なんだかわからないけれど、何かとてつもなくありがたい存在がいる」
これが僕の正直な思いです。
天河神社では、幾度となく深夜の神殿に上がり込んで、正面に立って祈りを捧げました。
そのたびに、必ずと言っていいほど起きた現象があります。
それは神殿の中で「ガタン」という大きな音がするのです。
重い机を50cmくらい上から下に落としたくらいの大きな音です。
このことも、あまりに馬鹿げているので、わずかの人にしか話してきませんでしたが、よくよく考えてみると不思議な現象です。
だって誰もいるはずのない深夜の神殿の中から、毎回のように大きな音がするのですから。
僕はこのような超常現象的な話は、あまり好きではありません。
でも、天河神社では、幾度となく不思議な体験があったのです。
その時はあたりまえのように思っていましたが、やっぱり不思議です。
あったものはあったので、どうしようもないのです。
「神様ってなんだろう」
できたばかりの神殿に漂うヒノキの香り、あたり一面に充満する神秘的な空気感、うっそうとした森の中に発生するマイナスイオン、そのような環境の中で神聖な気持ちを持つことは容易いことでしたが、実際に目の前の御扉の中に「神様」がいるのかどうかは、確信が持てませんでした。
「そんなものがいるはずがないじゃないか」
理性はそう言います。
だとしたら、いるかいないかの確信が持てないのではなく、いないという確信が持てるはずです。
でも持てないのです。
もしかしたら本当にいるのかもしれないという気になるのです。
もし、神殿に祭られた神が単なる偶像で、ただ人間が勝手に崇めているだけの迷信だとしたら、人間はずいぶんと手間暇をかけて、そのような形式に惑わされてきたことになります。
「なんだかわからないけれど、何かとてつもなくありがたい存在がいる」
これが僕の正直な思いです。
天河神社では、幾度となく深夜の神殿に上がり込んで、正面に立って祈りを捧げました。
そのたびに、必ずと言っていいほど起きた現象があります。
それは神殿の中で「ガタン」という大きな音がするのです。
重い机を50cmくらい上から下に落としたくらいの大きな音です。
このことも、あまりに馬鹿げているので、わずかの人にしか話してきませんでしたが、よくよく考えてみると不思議な現象です。
だって誰もいるはずのない深夜の神殿の中から、毎回のように大きな音がするのですから。
僕はこのような超常現象的な話は、あまり好きではありません。
でも、天河神社では、幾度となく不思議な体験があったのです。
その時はあたりまえのように思っていましたが、やっぱり不思議です。
あったものはあったので、どうしようもないのです。
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