2008年06月06日

釈迦を殺して前に進め

敬虔な○○教徒は、いつも神を思い描き、祈りを捧げ、共に人生を送っているので、深い祈りや瞑想の中で、○○神と遭遇するような体験をする人がいます。

自分の目の前に、光り輝く至上の存在が現れるのです。


そのような体験をした者は、もったいなさとありがたさに涙します。

そして周囲の信心深い者たちも、そんな体験者を祝福します。



でもね・・・・


禅の世界はまったく違う態度をとります。


禅師はこう言います。

「もしあなたが瞑想のさなかに、お釈迦さまと出会ったとしたら、それを殺して前に進みなさい」

殺す!?



常識的に考えたら、このような発言は決して許されません。




ところが禅師は大まじめです。

彼は何を言っているのでしょう。


それは昨日の記事とも関連があります。



たとえそれが釈迦だろうと、自分以外の存在を拠り所にしたり、そこに自分以上の権威を与えたりしてはならない。

深い瞑想の中で誰と出会おうと、リアリティーは自己のみであり、それ以外はすべて、心が織りなす幻影だから惑わされるなと言っているのです。




そこまで徹底して、あらゆる権威や幻想を排除して、自己の本質を実現しようとするのです。


僕たちは知らず知らずのうちに、釈迦やキリストやそのほかの偉大だとされる人物を、自分よりはるか上に置いています。

でもよく考えてみたら、それらは外からの情報によって自分の中で築きあげたものであって、リアルなものではありません。


この世にリアルなものはたった一つです。

それは自分がいまここに存在しているということだけです。


そこに徹底したとき、自分自身が一人の釈迦であり、一人のキリストだったことを知ります。



宇宙の真理の全ては、自分自身を知ることによってもたらされます。





Posted by Blog Ranking at 09:35