2008年03月22日
独立国家
蒋介石の国民党軍を台湾に退けて、内戦に勝利した共産党軍は、その勢いのまま越境してチベットに攻め込みました。
その後、反発するチベット住民や僧侶らと、共産党軍との間で動乱が度重なり、それが限界にまで達した時に、ダライ・ラマはインドに亡命します。
それによってチベットは中国に組み入れられるわけです。
でもそれ以前の中国には、まったく違う言語、文化、宗教、歴史、社会体制が存在し、独立国家として存在していたのです。
前にもふれたように、中国は元朝、清朝時代の経緯を根拠に、チベットは中国のものだと言い張ります。
しかし、さらに歴史をさかのぼってみると、7世紀に統一国家として頭角を現したチベット王朝は、当時唐の国と対等に渡り合うほどの軍事国家でした。
8世紀には中国の首都長安(今の西安)にまで勢力を伸ばしていました。
もし一つの国が勢力を広げて、他国を侵略した歴史を根拠に、その国は本来自分の国だったというのであれば、中国もチベットの属国になる可能性があるわけです。
9世紀にチベットと中国(唐)の両者の都に建立された碑文には
「チベットと中国の両者は、現在支配する領域を守って、東方すべては中国の地に、西方すべてはチベットの地にして、これより後は互いに敵対し争うことなく、領域を侵犯することなく、互いに平和を守らん」とあります。
これを見ても明らかなように、チベットは独立国なのです。
チベットの独立運動を支持します。
そして中国から、共産党一党独裁支配が消え去ることを望みます。

その後、反発するチベット住民や僧侶らと、共産党軍との間で動乱が度重なり、それが限界にまで達した時に、ダライ・ラマはインドに亡命します。
それによってチベットは中国に組み入れられるわけです。
でもそれ以前の中国には、まったく違う言語、文化、宗教、歴史、社会体制が存在し、独立国家として存在していたのです。
前にもふれたように、中国は元朝、清朝時代の経緯を根拠に、チベットは中国のものだと言い張ります。
しかし、さらに歴史をさかのぼってみると、7世紀に統一国家として頭角を現したチベット王朝は、当時唐の国と対等に渡り合うほどの軍事国家でした。
8世紀には中国の首都長安(今の西安)にまで勢力を伸ばしていました。
もし一つの国が勢力を広げて、他国を侵略した歴史を根拠に、その国は本来自分の国だったというのであれば、中国もチベットの属国になる可能性があるわけです。
9世紀にチベットと中国(唐)の両者の都に建立された碑文には
「チベットと中国の両者は、現在支配する領域を守って、東方すべては中国の地に、西方すべてはチベットの地にして、これより後は互いに敵対し争うことなく、領域を侵犯することなく、互いに平和を守らん」とあります。
これを見ても明らかなように、チベットは独立国なのです。
チベットの独立運動を支持します。
そして中国から、共産党一党独裁支配が消え去ることを望みます。


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│チベット問題